疎開船武州丸慰霊の夕べ 73回忌

疎開船武州丸の73回忌 慰霊祭が今日、夕方 なごみの岬 「武州丸慰霊塔」であった。武州丸と平和を考える会 12回(単独主催7年目)。主宰者(幸多)挨拶の後,澤津橋務氏(92)の電話メッセージを紹介。

いきゅんDOの渡辺さんの挨拶。井之川中学校7人の生徒は、武州丸死者の無念さ「犠牲者には1歳にも満たない5人の赤ちゃん,から小中学生77名。戦争から逃がすために疎開船に乗せたのに,家族が離ればなれになっても,この子の命さえ助かればいい,と願って乗せたのに・・・。どんな理由があろうとも戦争をしてはならない真実を,多くの人に伝えます。」と平和を守る決意、暗闇が安心な場所(防空壕)であった時代に戻ってはならないことをアピールしました。

1944年10月10日,那覇大空襲,南西諸島,徳之島が初空襲の日。

米田正英さんの家族5名は疎開途中,加計呂麻島沖で米軍戦闘機グラマンの攻撃にあいました。妹二人が即死,「このような戦争がないように願い,妹たちを供養していきます。」と,言葉少なに語りました。

参加者の声は「今がまさに戦争前になってきたね。」「昔の防空壕は空襲警報解除で外に出られたが、核戦争のシェルターはそうはいかない。」「国民を戦争に向かわせるのが今の政治だね・・・」「中国,次は北朝鮮,次々に敵国を作り,同盟国が包囲する」」「窮鼠猫をかむ,追い詰めたら戦時中の日本,一億玉砕!ではすまないね。核戦争,死なばもろともに・・・日本が狙われるのは必至だね。怖いね」「国民がしっかりしなくてはね」「未来はこどもたちのものだから平和を維持したいね」など等でした。

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