1944年6月29日終戦の1年前、 沖縄戦に向かう輸送船富山丸には4000名の兵隊と燃料(1500本のドラム缶)を積んでいた。73年前の早朝7時30分ごろ徳之島亀徳沖、約3Kmで悲劇は起きた。地元で徴用された人々が浅間の陸軍飛行場へ向かう時間帯、亀徳沖を南下する日本海軍の船団。彼らは「鬼畜米英に我が日本海軍が鉄槌を下すのだ!」と眺めていた。そのとき、大爆発で輸送船富山丸が黒煙に覆われ船団はバラバラになった。風は海から島にむかって吹いていた。重装備をした船底の兵は海底へデッキへ飛び出した兵の多くが島を目指して泳いだ。しかし、次々とドラム缶のガソリンンへ引火誘発され、兵隊の多くが火の海で戦死。3704柱と記されている。(参考までに数年前 沖縄 平和の礎に富山丸の戦死者も刻印)
「この道はいつか来た道」、共謀罪によって戦争反対、平和を訴える人々は顔写真、録音という監視によってあとずさりしないだろうか。戦前回帰は始まっていると感じる。戦争を知らない私が感じる。日本は国際平和、協力の名の下で武器の後方支援、武器輸出という商売もできる。自衛隊(国家公務員選挙中立,公選法上の地位利用による選挙運動禁止規定の適用対象)を選挙に利用する防衛大臣、女生とは思えない。与謝野晶子「君死にたまうことなかれ」であってほしい。
7時28分今から73年前。黙祷~。(川畑眼科入院中~明日退院です!)
鹿北製油、社長の和田久輝です。私の爺さんは、この船に、乗って戦死しました。今は、徳之島で、ゴマ栽培の契約していますので、ゴマ栽培を、通して、爺さんの供養と思って、徳之島産のゴマを、大切に、鹿児島県産ゴマ油と思って、製造しています。
15年前に、徳之島に、行きましたが、叉、徳之島に行きたくなりました。
戦争は、いけないですね!核開発も、!
大変遅くなりましたが、和田さんのお爺さんが武州丸に乗船していたこと、知りました。
毎年9月25日慰霊の夕べとして教職員児童生徒、地域の人々が参列します。ご縁ができましたのでメッセージなどをお寄せください。