昨日午前8時45分頃から10数年ぶりに東目手久鍾乳洞を訪ねた。当時は道路脇からきび畑の畦を横断して水路伝いに行けばたどり着けたが、今回はさらに上まで登って右側の雑木林、竹林を経て小川に到着、ここを登っていった。当時の水路には木々が生え覆い尽くしていた。もはや10年過ぎると自然の猛威繁殖には抵抗できないのだ。更に台風の跡で、木々は倒れ大木も倒伏手のつけようがない。やっと通れるようにのこぎりで切って進む。当時楽々に案内した私がとまどうのだから、驚きとしか言いようがない。美山保さん達は昨年ここに入って時間経過で騒動し、本人も救急車で運ばれた。それとは知らず私はその本人に案内を頼んだ訳だ。申し訳ない。その後、上に抜けるという場所を案内してもらったが、そこは違法「ゴミ捨て場」と化していた。
美山さんの案内で目手久ダムを初めて知った。渡り鳥も来るという「ため池」だ。
権福の銀竜洞近くの手つかずの鍾乳洞は再発見に時間を要したが記憶をたどって見つけた。当時は「谷間であるため開発の手から逃れている」と説明した鍾乳洞だ。
地上部は赤土畑が広がる。広大な農地だ。近くまで開発の手が伸び、もはや地下部が赤土にまみれるのは時間の問題だ。
おそらくすでに、鍾乳石はつららも赤土で染まっていることだろう。入り口の写真だけ撮って思い出を胸に「永遠なれ、」と別れを告げた。