「亀津小学校を避難所に」
経緯
防災無線、9・10号号台風の時「避難所は生涯学習センターです。食料飲み物を準備して」
9月3日(木)朝 「台風10号の勢力はこれまで経験したことのない甚大な被害が予想される」報道によって亀津小学校長 狩集校長と避難所開設の際の協力を依頼、了承を得る。
校長「職員へも通知します」
9月4日(金)亀津小学校(ハザードマップでは避難所指定)を開設を総務課担当Sさんへ連絡、その後直接M総務課長へ「大瀬川沿いで避難者、高齢者が多い。コロナ対策も有りお願いします」。
「職員の配置ができない。学習センターの利用を」
9月5日(土)朝再度M総務課長へ
「わかりました、自治会で責任を持って開設できましたら了解です。校長へも連絡します」
ライン、放送で区民へ「生涯学習センターが避難所として放送されていますが、自治会では亀津小学校校舎を避難所として13時より開設します。」
・避難所開設の準備
5日 早朝 8時から
ゴザ8畳 4枚、6畳2枚。クーラーボックス。湯沸かし器ポット、コップ、ゴミ袋などを学校へ搬入
青年部 10時過ぎ学校集合。ゴザの配置
狩集校長「図書室はクーラー完備、解放します。校長室も本部として解放。更衣室のクーラーも使ってください」
13時から避難希望者 約40人、夜間12時30分ごろにも 最終62名。
お一人の女性が喫煙希望で「校舎内、敷地内はだめです、」と指導。
女性一人Mさんが消防団員の説得にも応じず「ここで死ねたら本望」と避難拒否。
男性Tさんも、再三の電話での避難勧告に応じず、青年部3人が迎えに行っても出てこなかった。
総務課へ白山君が電話。総務課「そんな人がいます。強制はできない。」
森電業社長夫妻が「足場の撤去ができなかった。設置業者は安全というが心配。」
「安全な場所へ移動しますから、」と対応。
6日(日)
大瀬川の水位を確認。黄色のラインが2本見える。「安心」
「九時頃の満潮時間と最接近が危険な時間。海側からの風が強くなれば3階は2階へ移動します。準備を、」と伝える。
その後20分ごとに1~3階を往復。
10時
「風が北西、山手からの風になりましたから安心です。3階の移動はありません。安心してください」
全員、安堵の様子。
永吉さん(弁当屋さん)上原さんから「おにぎりでも差し入れしたいのですが、」と打診。
「ありがたいことですが、料金は自治会から出します無理しないでください」
「とんでもない、料金はいりません。気持ちですから」
好意に甘え、その旨を皆さんへ伝える。感謝感謝!
おにぎりと卵味噌汁。
12時に 解散式
「風は2時以降に弱くなります」「今回の避難は災害がなく、台風のコースがそれたためです。」
「訓練として受け止めてください」「自助・共助・公助として自分の避難、次に隣近所の安否を気遣う、公的な助けは最後です。」「開設された亀津小学校(校長先生)への感謝を忘れないでください」
「施設内の清掃を、使う前よりきれいに!」
13時30分から清掃。各自 自宅へ帰り出す。
14時15分 清掃完了 冷蔵庫のお茶水は学校へ感謝を込めて寄贈。
*電源の確保(停電時の照明)
*見回り人員~独身・夫婦での避難可能な人。家族を守ることが第一であり、緊急災害時の対策にあたる組織を検討。消防団員含めて。
*差し入れや炊き出しもフリーな人員で組織を。
行政との密な連携
TVの受信が校長室でも不可。設置を要望する。天気予報、台風の情報はスマホのみ。
水などは予備分として提供してほしかった。
電源はバッテリーでもいい。照明器具用として。
62名の避難者は少なくない。
私事ですが、3階までの数十回の往復で6日夜、大腿筋が吊って痛い思いをしました。