大和城山249m 指令所から空港 港を展望 トーチカ 急な階段を上る。今はきれいに整備された階段だが戦時中はどんな思いで険しい山谷を兵隊さんは歩いただろうか。秋利神川から運ばれ作られた堤防、車もなく島人の徴用・郡内から4000名以上の人が集められ馬、人力で築かれた堤防。昭和20年2月与論島を出帆した枕崎水産高校の練習船 開聞丸は撃沈され24名の方が犠牲になった。
特攻隊慰霊碑、忠魂碑、肉弾三勇士 奉安殿いずれも「天皇陛下万歳」の教えで若者が命を捨てた。戦跡を歩いて子どもたちが何を感じたか。グローバルな視点で「戦争反対」を訴え平和を維持してもらいたい。
高校の先生が話した「子どもたちはTVからの映像でも今の戦争は他人事であり反応がない」。
いつか来た道に戻ってはいけない「防空壕の暗闇が安心安全な場所であってはならない。」
中学生の真剣なまなざし、「平和」をきっと守り続けてくれるはずだ、この戦跡巡りは「平和構築の歩み」と自分に言い聞かせている。
大和城山の登山、旧指令所跡に平和の砦を築きたい。