遺跡を訪ねて本川から尾母集落へ 広報北区 6,7月号

駐在員・区長(自治公民館長)として子ども会から高齢者までのニーズを理解し、活動を推進していく役割を担っている。コーディネーターとして、金子みすゞの「みんな違ってみんないい!」の志で歩んでいる。

昭和50年沖永良部島 知名町上城小学校赴任当時から、青年団・子ども会・西目スポーツ少年団設立など社会教育5時から男でやって来て、今そのゴール近くに来ていると思っている。そこから見る地域は、子どもの夢や未来を見渡しているだろうか?青年のエネルギーを発散させ、生き甲斐を持った日々を送っているだろうか、高齢者は夢と希望をもって「生涯青春」を満喫しているだろうか。それらの環境を準備し整えているだろうか、行政は?地域のリーダーは?。自問自答しながら歩む。

歴史もきちんと把握しなくては、先史時代、古代からの変遷。狩猟採集(貝塚)時代から島はどう変わったか。今日、尾母での発掘現場を見て来た。カムィヤキの遺物が出土している。出来具合は粗雑で焼きが甘く赤土部分が残っている。立派な完成品は島外へ交易品として出ているはずだ。そのうち居住地跡もわかると思う。そこから海を下っていくと本川貝塚、海へとつながる。貝や追い込み漁をした海人(ウミンチュ)が山の幸、狩猟も可能な台地に居住地を求め登ってきたところが「尾母」集落、という道筋が見える。今度フィールドワークで案内したい。

6月29日 何の日?

六年前のブログから思う。
戦争が始まった今、自らに問いかけた「今は戦後?それとも戦前?」その答えがロシアという大国の侵略戦争という現実問題になった。
だが、私たちはTV慣れし、現実とは思えない参事を前に為す術もなく、日常の平和を「コロナ禍」で生きている。この平和な生活が一瞬にして消えた12.8や島の6.29、10.10、結果8.6.8.9の惨状を経て8.15を迎えた過去の学び直しが必然的にやって来たのだ。
 守ってきた「平和」の城がこんなに、もろかったのか、ということを知った。
戦後 日教組は教員のほぼ100%が加入し「子どもたちを再び戦場に送るな!」と「民主教育の実践」を訴えて来た。その加入率が20%を切る時代に、過去の日本の軍国主義、「戦争、侵略」を他国ロシアが行っている。「歴史は繰り返される」「過去に目を閉ざすものは未来に対して盲目となる」、である。
2016年 6月 29日 (水)

富山丸 慰霊の日

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鹿浦小学校 旧奉安殿
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弾痕 人の命を狙った機銃掃射

NHK朝のラジオ番組で 「今日は何の日」というのがあるが。今日は1944年6月29日 7時30分頃 戦時中の奄美近海、徳之島 亀徳沖のわずか3kmで「輸送船 富山丸」が魚雷攻撃で轟沈した。3700余名の若者があっという間に海中に没し、海に飛び込み陸に向かって泳いだ人たちも、ガソリンが引火し、火の海で焼死。浜辺には200体もの兵士が打ち上げられ、砂浜で火葬された。なごみの岬。今日も暑い日になりそうだ。72年前の今頃 地獄と化した亀徳沖の悲惨な、悲痛なシマンチュの顔は、想像もできない。神の国日本が負けるはずがない。勇壮な船団が南下する光景に胸躍らせた人々が目の当たりにした船団の撃沈模様。奄美近海はすでに制空権、制海権を失っていた。にもかかわらずそれから1年以上過ぎた8月15日の終戦。沖縄も奄美も本土防衛の捨て石であったことがわかる。再びこどもたちを戦場に送らない!その思いが高齢化によって遠ざかっていく。ゲーム感覚のTV放映によって命の重たさが軽く、流される(放映)今は戦後なのか?それとも戦前?

馬毛島とラプコン《radar approach control》を考える

2010年の徳之島への米軍基地移設反対闘争の教訓から、伝えたい

《radar approach control》レーダー進入管制。 地上誘導着陸方式によるもので、空港監視レーダーと精測進入レーダーを用い、無線電話により操縦士に指示を与えて着陸させる。

嘉手納ラプコンは、嘉手納基地から半径90キロ、高さ6000メートルの空域と、久米島空港の半径55キロ、高さ1500メートルの空域の進入管制業務を嘉手納基地のレーダーで米軍が実施してきました。

那覇空港から離着陸する民間機は、嘉手納基地に離着陸する米軍機と航路が重なるため、約10キロの間、高度300メートルの低空で飛行するという「高度制限」を義務付けられています。

こうした米軍優先により、ニアミス(異常接近)の発生、低空飛行による乱気流発生時でのトラブルの可能性が指摘され、民間機の安全優先、燃料負担の軽減などから嘉手納ラプコンの早期返還が求められていました。

国土交通省は、返還後は地上と上空の管制を日本側で行うため、米軍機の飛行状況が早めに把握でき、米軍機の状況によっては高度制限せずにスムーズな着陸・上昇が可能としています。


変わらぬ米軍優先

嘉手納ラプコンの日本への返還は「空の主権回復」、民間航空の安全確保という点で前進です。

しかし全面返還ではありません。国土交通省も認めるように高度制限の“緩和”は、あくまで嘉手納基地や普天間基地を離着陸する米軍機の飛行計画が予定されていない場合です。米軍機の飛行や作戦計画に支障のない範囲が前提なのです。

馬毛島でのタッチアンドゴー、離着陸訓練は「ラプコン」という、空域の制限下で行われる。であれば種子島、屋久島方面から国内線はおのずと狭い空域しか運航できない。わが物顔で制空権をもって轟音を轟かせても文句は言えない。2010年まで那覇空港がわずか高度300mしか許されてなかったことを知っているのだろうか。