6月28 ~29 日 雨天のため延び延びになっていた芋植えを強行実施。
耕耘も福岡輝男さんがびっしょり濡れながら行い、土砂降りのため芋植えは翌日月曜日夕方にした。
残念ながら悪天候で子ども会、高齢者クラブ多くの参加を得られなかった。
12月の収穫時は多くの参加で芋掘りを楽しみたい。
第7回地区対抗駅伝大会(平成の初期は駅伝大会が年代別で行われていた~私も神之嶺小入り口県道から当時のチップ工場・今のアートサンポウ前中継地点の坂を走った~が道路工事で中断スポーツ大会へ移行、再び小中高青年中心に復活)は11月10日12時花徳小学校で開会式が行われた。
必勝を期して記念撮影。惜しくも上位入賞はできなかったが年間通して中距離を走っていない子どもたちです。善戦健闘しました。駅伝は己との戦いです。孤独です。しかし走った人にしか味わえない達成感と次頑張ろうという闘志が漲るスポーツです。私も沖永良部フリージヤマラソンでは子どもと5キロ・10キロコースを走ったり楽しみました。青年時代から亀津中学校の持久走大会(9年間で7回走った)48歳まで中学生と競いました。コース、呼吸の仕方・・・選手の皆さん、お疲れ様でした。
スポーツでその後も卓球部では2キロ走ってから卓球練習に入りました。メンタルの持久力はやはり筋持久力とバランスよくなければ、との思いでした。県大会優勝(1999年度伊仙中女子)・全国選抜大会出場は毎日の2キロノルマからでした。
島民劇「この町で」を鑑賞した。
久しぶりに帰ってきた娘が泥酔して、彼氏がいることを打ちあける。父親(北区の保久幸仁さん)は、可愛い娘を離したくない。
苦悩する父親だが周りの青年家族がサプライズ結婚へ。おじいとおばあ。持病をもつばあちゃんが倒れる。過去の思い出。
出会い、別れ、井之川の夏目おどり。我が家で死を迎える~孫の誕生。ミュージカル風な演出、シマンチュが演じる。赤土文化が戻ってきた。戦後米軍統治下の中で芽生え育った赤土文化。それは各集落(シマ)にあった。
金をかけず、島の青年たちが時代劇や犬田布騒動を演じ「日本復帰」さえも勝ち取った、不屈の明星の劇団が島々にあったと聞く。
島民劇を「わきゃシマ劇」に育てたいものだ。「わきゃシマ物語」として。