徳之島高校、東天城中学校。亀津小5年生そして亀津北区の史跡巡り、花見とGゴルフ

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1月30日 高校生240名と教員へ「昨年日本復帰70周年」を話題に徳之島における復帰運動 前田長英、為山道則、泉芳朗の生まれから大島での教員時代 母校面縄小学校と愛郷心 東京、帰郷 戦争 赤土に謳う 詩の数々と背景、戦争と命のリレーを実話をもとに語った。過去に目を閉ざすものは現在(未来)に対しても盲目である、平和の構築を若者の手で、と。

1月31日は学校運営協議会で大谷翔平のグローブが亀津小に届き校長からお披露目。

2月15日東天城中生徒へも同様の話をした。奄美の若者と沖縄 糸満への人身売買。教科書密航。

北区女性連は2月4日 島の自然と戦跡を学習 9時から4時まで。

2月5日は母間小職員研修。

2月11日はスタディ井之川岳登山 アマミテンナンショウ トクノシマエビネ 数々の植物紹介。2月16日 亀津小学校5年生全員へ母間騒動の歴史的背景と住民の正義感、圧政に負けない団結力を紹介。

2月18日はボランティア清掃、グラウンドゴルフ 23名なんと私はホールインワン 2ゲームで35というスコアで優勝!

夜は阿権へ「観光客へ島唄と歴史を語る夕べ」でした。

 

ユネスコ九州ブロック研究会 吉野ヶ里遺跡

佐賀大会では徳之島ユネスコの各種取り組みを報告し、自衛隊の離着陸訓練など中国脅威論から奄美が沖縄に次ぐ基地の島に変わろうとしている現状も報告した。ユネスコ協議会として沖縄県の取り組みパスポートなど組織会員の拡大、特に高校生若者を活動に取り込むことが課題だ。

吉野ヶ里遺跡視察では卑弥呼の墓ではないか?と期待された石棺墓や甕棺墓の視察。弥生時代のものみやぐらや建造物 子どもたちの発掘体験の様子など古代史を学びました。今回発掘された石棺墓は約1800年前、邪馬台国が存在したとされる弥生時代後期の墓です。

 

12年前のブログから今を見る姶良カルデラ

2013年 10月 9日 (水) 拙速な川内原発1・2号機の再稼働を認めない決議 2011年3月5日放映 *トイレのないマンションといわれる原発 安全性は?2年前TV「ゼロ」で2030年に姶良マグマは満杯状態!いつ爆発してもおかしくない、今は報道されていませんが経済界に不都合な事実は隠蔽されるか、または小さく報道されることもある10月2日開催の姶良市議会本会議にて、 「県民の安全が担保されない拙速な川内原発1・2号機の再稼働を認めない決議」の採択を求める陳情書 が、賛成23 反対5 の賛成多数で、採択されました。 姶良市議会の決議です。 ■県民の安全が担保されない拙速な川内原発1・2号機の再稼働を認めない決議 県民の生活と安全に責任を持つ鹿児島県知事は、以下の県民の安全確保上重要な課題が解決するまでは、拙速な川内原発1・2号機の再稼働は認めない立場で、国および原子力規制委員会に対応することを求める。 (1)原発周辺の活断層の存在をすべて解明すること (2)火山災害に対する安全性の根拠を明らかにすること (3)安全確認を最優先するため、6カ月という枠にこだわらず審査するよう、原子力規制委員会に要請すること (4)地震・火山問題について、鹿児島県独自の専門委員会を設置すること (5)地震・火山問題について,専門家による検討会を公開の場で実施すること (6)実効的な避難計画も策定されていない状況での拙速な原発再稼働には反対すること 以上決議する。 平成25年10月2日 鹿児島県姶良市議会 議長 玉利 道満 鹿児島県知事 伊藤 祐一郎 殿」

夏休み学校職員研修講師

19日k19日

花徳小学校の職員研修 19日地元学 豪農11のうち9つが徳之島。内5つの農家が花徳だった やがて学問を極めて二人の国会議員。経済力は学問の道を拓いたのだ。29日同じく阿権小学校職員研修 阿権川用水路、石垣から貧富 債務奴隷の民衆を知る。犬田布騒動の背景から明治維新、西郷と黒糖独占の大島商社の関係、隠れた歴史背景を語った。90分、真剣に聞いてくれた先生方に感謝です。

 

sdgsと平和教育

第二次世界大戦後75年が経ち世界に「平和」が訪れたかと言えば、誰もYesと答える人はいないであろう。 自国の安全は確立しようとするものの、戦後も世界のあちこちで戦火は絶えない。

SDGsは2015年9月に開催された国連持続可能な開発サミットにおいて、全会一致で採択されたもので、その目的は「2030アジェンダ」として明らかにされている。その前文には、「我々はこの共同の旅路に乗り出すにあたり、誰一人取り残さないことを誓う」という力強い宣言があり、「その実現には、人々の知恵や技能の格段の進展や、意識改革を促す教育改革は根幹をなす必須条件であろう。」(諏訪哲郎 2020)とも訴えている。つまり、地球で生活する誰一人も取り残さないためには、全地球人が全力で知恵と力を振り絞っていかなければならず、その中でも教育が果たす役割は大きなものと言える。

戦争は人の心の中から生まれる 宗教 生まれ 言葉 あらゆる違いを認め会う寛大な心

心の中に平和の砦を築く ユネスコの憲章の思いを常に持ち続けたい。

養蚕技術の伝達技師として徳之島へ

奄美市浦上農業試験場で養蚕技術をマスターして与論島へ 与論島の養蚕衰退のため徳之島 当時東天城村で養蚕指導に従事 徳之島町町制施工後、花徳支所で勤務

忠義さんは昭和8年生まれです

和泊町喜美留出身、和泊中学校勤務の7年間私はご兄弟と親しくさせていただきました

大島地区ソフトテニス大会に参加する賢裕さんと会場で会いました

縁 あって40年ぶりにお兄さんと私は知り合えたのです。徳之島の養蚕指導技術者 歴史を作った人です

♪おまえ蚕(こ)を飼え 紬織れ♪徳之島小唄と養蚕業が盛んであった、ことが理解できますね。シマの桑の木の多いこと。温故知新です。

糸木名小学校タマシモロイタイム

7月10日土曜日 タマシモロイタイム シマウタの背景、消滅の危機にある島口を唄で伝えていく取り組みが必要です。

標準化された日本語、この時代島口を継承するのはかなり厳しい 経験から島口劇は効果大、そして教訓や生活を綴るシマウタは貴重です その背景を伝えていくことですね。島唄や三味線を指導する際にこれまでの諸先輩は数字と時にABCを付け加えて独自の楽譜を考案していました。123を開放弦として45678ABCDなど。これでは復習予習ができません。

私はこれをそどソを開放弦として五線譜で指導しています。CDからの採譜もします。

五年生の男子はコロナ禍の中ですが一曲を1時間でマスターするほどです。

糸木名小学校の児童の皆さんもワイド節を踊ってくれました。島の文化継承は楽しいシマウタ、踊りだと思います。何でも楽しくないと長続きしません。そして賞賛し場を作ることです。

子どもも大人も練習の成果を活かすには「場」発表の場と拍手が一番ですね。

 

 

島唄とその背景 面縄中学校6月12日

シマ唄とは島々または集落集落の唄を指す。それは独自のアイデンティティの発信で有り、同調した流行歌ではない。と言われている。例を挙げると朝戸屋ユンタは徳之島ではチンダラ節として替え歌が歌われている、それでいて根付いている。盗作ともいわれず愛されている。

「唄は旅する」 与那国小唄が亀津音頭に、与論小唄が19の春に、花徳枕節がエラブ百合の花に編曲され歌詞が新たに付け加えられ定着している。

「こども」「行事唄」「作業唄」「祝い唄」等々 人々の生活と密着していた。教訓歌もある。

シマ唄から心の文化を学ぶ。奄美の歴史を知る、ことばを知る。7月は糸木名小学校で保護者を含めてシマ唄の紹介です。数え歌、てぃんさぐぬはな、などその意味を語りながら歴史を生活を語ります。

疎開船武州丸慰霊の夕べご案内

 

川辺へ2008年5月22日訪問~ 2018年4月25日逝去

澤津橋 務さんは約10年後に他界した。

26日 土曜日 夕方4時 なごみの岬慰霊の夕べ

同じ事の繰り返しだが、誰かがしなくては。2006年故名城秀時遺族会長と出会い語り継ぐことを約束した。あれから14年。その間に米軍基地移設反対闘争もあった。

歴史は繰り返される恐れがある。

過去に目を閉ざすものは未来に対して盲目となる、某大統領の声を数十年思いだし平和教育を推進してきた。ユネスコ憲章にある「戦争は人の心の中に生まれる、人の心に平和の砦を築かなければならない」

明後日26日夕方4時から慰霊の夕べ。未来のこどもたちにメッセージを。

戦争を体験していなくても、聞き、知って伝えることはできる。

故人 澤津橋務さんの平和のメッセージ(録音)を伝えたい。

 

亀津中学校1年生 武州丸講話

6月30日 亀津中1年生へ 疎開船武州丸 の話をしました。戦時中奄美守備隊約7000名が徳之島へ駐屯。そのため米軍の上陸に備えて「口減らし・足手まとい」のため、幼老婦女子6200名が対象となった。サイパン島陥落後、政府は南西諸島10万人の疎開命令。

一瞬にして夢・希望を絶たれた子供達77名。0歳児も5人。平和を構築する時代、それは今の若者に託される。武器輸出で壱兆円もの取引をする日本。平和利用の名の下で殺戮兵器を売る。メイドインジャパンの兵器が日本人、自衛隊員に向けられないことを祈る時代だ。