今年も豊作 民謡居酒屋オープン

今年も豊作オープン祝演奏中のため写真が撮れませんでしたのでまるちゃんの写真を載せます。居酒屋 今年も豊作に島中の歌者が集合。三線愛好会 結はオープニングで演奏しました。沖縄では食事を楽しみながら 民謡が聞けます。やっと、そんな場所がオープンです。

どうぞ、皆さんご利用くださいね。場所はミドリ薬局前 ホテルニュー西田の建物です。

井之川岳登山頂上でアマミノクロウサギ生息確認

DSCF1633 DSCF1635 DSCF1639 DSCF1620DSCF1593本日、鹿浦小学校のPTA主催井之川岳登山があった。「国立公園指定、世界自然遺産の植物観察をしながら登山しよう!」と植物の写真を配布。ナンゴクアオキ、ノシラン、センリョウ、マンリョウ、オオタニワタリ、サクラツツジ、ヤブツバキ、サクララン、トクノシマエビネ、ルリミノキ、フウトウカズラ、リュウキュウハナイカダなどを観察しながらでした。頂上の広場2~30mのところではアマミノクロウサギのフンを発見。「こんな頂上にも生息しているんだ。」驚きの確認でした。フンを指さして記念写真(証拠写真)も。センリョウが黄色い実をつけたまま道の両サイドにいっぱい。以前は正月前に競争して持ち帰ったらしいが「シマンチュの意識が変わりました。みんなで世界自然遺産の徳之島を誇りに守っていきましょう」と話しました。

 

高千穂神社参拝

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亀津高千穂神社を参拝し、神主さんから安産祈願をしてもらいました。明治政府の神仏分離令によって廃仏毀釈運動がおこり、寺を廃し神社を建てた。大隅国霧島神宮の祭神ニニギノミコトが分奉された。「徳之島地事情」によると、明治二年高千穂神社は亀津、面縄、阿布木名の三カ所に鎮座し祭礼を執行した、とある。

大島地区高校地歴部会の徳之島 案内

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大島地区高校地歴部会の先生方は12月1日に徳之島を訪れた。徳之島の歴史、自然を終日案内させてもらった。犬田布のメランジュに感激したり、島の歴史、文化、自然に感嘆の声を発していました。私も准高齢者(65~74歳)となり、さらに島・奄美の歴史と琉球弧のつながりをもっと研究し多くの人に伝えていきたいと思う。

新成人祝い 家廻り カマモリ

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亀津中学校校区伝統の新成人によるカマモリ 家廻りの儀式です。該当者の家を成人した人たちが集落単位で訪問します。ワイドワイドの太鼓で入場すると、「イッキ!イッキ」で父や母がビールで乾杯。知人友人親戚の方々も参加。2日に成人となった祝賀会は夜遅くまで続きます。

松くいむしの防除

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松くい虫の防除が鹿裏小学校シンボルツリーで行われている。十数本のボトルにある防除液は半年ぐらいかかって浸透し、マツノセンチューを駆除する。マツノマダラカミキリムシが媒介するが、春先孵化するまでにセンチューを死滅させる。一匹で一万というセンチューを撒き散らすマツノマダラカミキリムシ。全ての駆除は到底無理だろう。過去の歴史において、放置して自然治癒力にきたいしても回復力はあるとは思うが、水際作戦である.

森林組合が36本の防虫剤をカプセル、圧力を加えて注入したがごらんのとおりその後上部から赤くなり、半分が枯死状態です。1月19日顕微鏡で枝の状態を調べると「センチュー」が泳いでいました。

 

ふれあい もちつき大会

12月10日(土) 鹿浦小学校でPTA、地域の皆さんも参加しての「もちつき大会」があった。「昔取った杵柄」といいますが、やはり高齢者の餅裁きは抜群でした。もち米を蒸して、小学一年生からみんなでペッタンペッタン!。臼杵は借用ですが、こんな話を聞きました。「最近はもちつきはまねごとで済ませ。食べるときは衛生面、安全面から買った餅を食べる学校もあるとか・・」。すかさず高齢者の方が「そういうことだから子どもに抵抗力もつかないいだ、昔は田んぼの水も飲んだものだ。」

きなこ餅や醤油味の餅等々。長命草のテンプラも。みんなで楽しく、「いただきます!」。

 

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線刻画シンポジゥム 

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11月13日天城小学校で戸森の線刻画シンポジウムがあった。いろんな見地から報告がなされた。具志堅 亮氏天城町で実際に調査担当している。その思いが述べられた。船の図が正確に描かれている。(松木 哲氏は全く性格ではない。帆がこんなにあれば船は転覆する。丸木舟も底はまっすぐであるべきだが丸くなっている。と反論)。線刻画に設計を求めるのは無理があるようだ。また歴史的に薩摩侵攻の時代に残そうとしたと考えられると永山修一氏は語るが、なぜ鉄砲は出てこないのか、の質問に「書く人の自由では・・」。第三線刻画の土壌分析結果が17、8世紀と出たための歴史背景だ。木下尚子氏は矢先の形から狩猟目的、殺傷目的そして逆▽の矢先もあり14世紀ころ沖縄本土で出土している。なぜか?と投げかけた。私見だが、琉球の歴史に関心があれば三山の統一(1429年)当時、南山、中山、北山の戦いがあり沖縄では牛馬等の骨が武器として矢先に使われたことは容易に想像できたはずだ。またこの当時はキコエノオオキミを頂点とするノロによる祭政が行われていたことから、祭祀の場として、造船にかかわる航海の安全祈願等による悪霊を排する弓矢であった、とする私の考えは琉球弧の歴史ロマンとしてどうだろうか。船の設計図が下手であるとする松木氏のダメ押しに対して私はノロが指示し、また自らの作品「線刻画」であれば下手であっても納得できる。関係者の熱心な討論だが、シマンチュの関心事は古くから「舟下ろし谷」「船田」とよばれていたことから、大木で作られれるくり船からイカダ、小さなサバニなどである。大きな帆船を作っていたわけではないだろう。ゆるやかに歴史ロマンとして線刻画をとらえ。描いてみることだ。

伊仙町産業祭

dscf9293dscf9290dscf9289dscf9288dscf9300伊仙町産業祭が23日 ほーらい館、ひろばであった。これまでにない賑わいでした。鹿浦小学校はたこ焼きなどを販売、注文に追いつけないほどの繁盛。親子で奮闘している姿はほほえましいものでした。また、奄美の世界自然遺産登録に向けて提言をする都市研究所理事鈴木進一さんからのインタビュー、(雑談)を1時間20分ほどしました。多くの声を参考に世界自然遺産登録を振興に活かしたいですね。