演奏中のため写真が撮れませんでしたのでまるちゃんの写真を載せます。居酒屋 今年も豊作に島中の歌者が集合。三線愛好会 結はオープニングで演奏しました。沖縄では食事を楽しみながら 民謡が聞けます。やっと、そんな場所がオープンです。
どうぞ、皆さんご利用くださいね。場所はミドリ薬局前 ホテルニュー西田の建物です。
本日、鹿浦小学校のPTA主催井之川岳登山があった。「国立公園指定、世界自然遺産の植物観察をしながら登山しよう!」と植物の写真を配布。ナンゴクアオキ、ノシラン、センリョウ、マンリョウ、オオタニワタリ、サクラツツジ、ヤブツバキ、サクララン、トクノシマエビネ、ルリミノキ、フウトウカズラ、リュウキュウハナイカダなどを観察しながらでした。頂上の広場2~30mのところではアマミノクロウサギのフンを発見。「こんな頂上にも生息しているんだ。」驚きの確認でした。フンを指さして記念写真(証拠写真)も。センリョウが黄色い実をつけたまま道の両サイドにいっぱい。以前は正月前に競争して持ち帰ったらしいが「シマンチュの意識が変わりました。みんなで世界自然遺産の徳之島を誇りに守っていきましょう」と話しました。
12月10日(土) 鹿浦小学校でPTA、地域の皆さんも参加しての「もちつき大会」があった。「昔取った杵柄」といいますが、やはり高齢者の餅裁きは抜群でした。もち米を蒸して、小学一年生からみんなでペッタンペッタン!。臼杵は借用ですが、こんな話を聞きました。「最近はもちつきはまねごとで済ませ。食べるときは衛生面、安全面から買った餅を食べる学校もあるとか・・」。すかさず高齢者の方が「そういうことだから子どもに抵抗力もつかないいだ、昔は田んぼの水も飲んだものだ。」
きなこ餅や醤油味の餅等々。長命草のテンプラも。みんなで楽しく、「いただきます!」。
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11月13日天城小学校で戸森の線刻画シンポジウムがあった。いろんな見地から報告がなされた。具志堅 亮氏は天城町で実際に調査担当している。その思いが述べられた。船の図が正確に描かれている。(松木 哲氏は全く性格ではない。帆がこんなにあれば船は転覆する。丸木舟も底はまっすぐであるべきだが丸くなっている。と反論)。線刻画に設計を求めるのは無理があるようだ。また歴史的に薩摩侵攻の時代に残そうとしたと考えられると永山修一氏は語るが、なぜ鉄砲は出てこないのか、の質問に「書く人の自由では・・」。第三線刻画の土壌分析結果が17、8世紀と出たための歴史背景だ。木下尚子氏は矢先の形から狩猟目的、殺傷目的そして逆▽の矢先もあり14世紀ころ沖縄本土で出土している。なぜか?と投げかけた。私見だが、琉球の歴史に関心があれば三山の統一(1429年)当時、南山、中山、北山の戦いがあり沖縄では牛馬等の骨が武器として矢先に使われたことは容易に想像できたはずだ。またこの当時はキコエノオオキミを頂点とするノロによる祭政が行われていたことから、祭祀の場として、造船にかかわる航海の安全祈願等による悪霊を排する弓矢であった、とする私の考えは琉球弧の歴史ロマンとしてどうだろうか。船の設計図が下手であるとする松木氏のダメ押しに対して私はノロが指示し、また自らの作品「線刻画」であれば下手であっても納得できる。関係者の熱心な討論だが、シマンチュの関心事は古くから「舟下ろし谷」「船田」とよばれていたことから、大木で作られれるくり船からイカダ、小さなサバニなどである。大きな帆船を作っていたわけではないだろう。ゆるやかに歴史ロマンとして線刻画をとらえ。描いてみることだ。