12月13日金曜日、芋の花です。芋の葉を除去し、機械で堀り起こす準備でした。育成会も平日のため福岡さんと一緒にしました。明後日15日が楽しみです。子どもたちとのふれあい農園「芋堀大会」です。
ふれあい農園は区民が関わり、学んで実践に移すことを「体験」する「場」です。理解や知識のみでなく「より深くかかわる営み」が大事だと思っています。
闘牛をその本能と興行に分けて歴史を見ると
鳥獣戯画国宝にも8世紀ごろから京都で角合わせをする牛が描かれている。
また農耕牛として見ると、河原で農耕の疲れをいやしながら牛を浴びせているが
子どもたちは角合わせをさせて楽しんだと聞く。
薩摩藩制時代、代官が奄美島の娯楽を知って(8月15日、9月9日など遊興日)特別席を
設けたりして観戦する様は名越左源太「南島雑話の世界」からも見えるし、「徳之島事情」
の挿絵でもそうだ。このころは入場料は取らず、勝った「名誉」であった。前原口説も一族、集落の誇りが歌われている。
戦後、各集落の広場で幼いころ角合わせを見たものだ。勝ち負けでなく、楽しみだった。
昭和34,5
年ごろは道のわきは
トタンで闘牛場を見せまいと覆い入場料を取っていた。子どもたちは隠れて応援団に扮して入場していた。
今は小学生までは無料。
興行として成り立ったのは戦後1960年ごろからではないか。戦後10年たって生活のゆとりも出来たころ。その頃は豪農、大富豪と言われる人たちが自分の名前を「000牛」として戦わせた。名誉である。島の数え歌に今もある「得とらゆりも名とれよ死んだる後にも名は残る」である。
継続することは「深い思い」「より深くかかわること」です。だが私が深くかかわった名城秀時さん、藤村キクさが他界し、そして生存者であった沢津橋勉さんも昨年亡くなった。しかし鹿児島川辺の自宅で「遺志を継ぐ」と固い決意を位牌の前で誓った私は今年も取り組んだ。井之川中学校の生徒の皆さんが平和を誓った。そして協賛に徳之島ユネスコ協会が加わった。手出し、手作りの慰霊の夕べに今年も30余名が参加した。運動会シーズンにもかかわらず。「知って」「伝えること」をライフワークとして2006年から14年。「これまで平和を守ってきたが、これからの若者は平和を作る、時代にある。」と挨拶した。公的機関に委ねるのでなく民衆の思いがあれば平和は築ける。毎回新聞社の方々も取材してくれます。平和を願うメディアにも感謝です。誰かが「何をした」という形でなく、平和を希求する人々の現在進行形でありたいと願うばかりです。「戦争の悲惨さを若者に知ってほしい・・・」名城さんの声が耳に残る。
ゴミ問題を語る会 5月12日
「集落内にゴミ箱がないので、ごみを見て見ぬふりするときは心が痛む。 マナーは改善されている。設置も必要なのでは、人を信じたい。」
ゴミ(空き缶等)から見える エゴイズム 30分のゴミ拾いから
健康に留意する人が環境に配慮しない 糖質0缶ビール「シャキッと元気!」REAL GOLD
「残していますが、違反ゴミですか?」 「空き缶等が5~6本以上入っています。この地区では初めてです。名前もありませんね」 「空き缶を出しますから、待ってください」と分別して取り出した。中から小学生子どもの 名前入りテスト(100点等)、読書数調査も。違反ゴミである。 名前が記入されてなく、ごみの中に子どもの実名テスト。 ごみを置いて行かれると困るので分別。 子どもの名前から(小学校へ照会)、この地域(班)のゴミでないこと。 違反ゴミ(無記名)は大変恥ずかしいことです。大人の責任ある行動が求められます。
「思いがけない「残されたゴミ」との遭遇。ゴミは初めから「ゴミ」じゃなかったはずです・・最期まで感謝の気持ちを持ち処理したいものです。」
生ごみとダイオキシン・焼却飛灰測定値が国の基準値を過去5年間上回る 3ng(ナノグラム)が3,5~9,2ng !4月20日/5月14日南海日日 西目手久住民の憤りを共有し、関わっていきたい。
生ごみはたい肥に(農家は土に埋める)、生ごみ処理機(補助金)よりもたい肥センターと連動してサトウキビのバカスと生ごみを混ぜて堆肥にできないか。
北区の取り組み、課題は 1 ごみを出さない。無駄のない消費者生活追及。 2 子どもたちの未来に責任を持つ、環境教育(ごみ問題)の研修会実施。 3 グループで当番を決めごみの監視(名前、違反ゴミの持ち込み) 4 生ごみを堆肥にする~畑のある人は埋める。 生ごみ処理機の購入も考え積極的な生ごみの活用。 など等です。 ゴミは負の遺産、子どもたちの未来に「美しい自然」と「結」の心を伝えたい 。地域では自己中心的な考えを改め、コミュニティ活動を! 家庭ではこどもたちの声を聴き、環境教育を。ポイ捨てを戒める家族愛を! 学校では大人に、「物申す」子どもの人権教育推進を!
昨日の全日本卓球選手権にくぎ付けになった。そして女子で準優勝した木原美悠選手が徳之島二世と知って歓喜。4歳から卓球を始めJOCエリートアカデミーに所属する2020東京オリンピック強化選手である。あの平野美宇を破った時からの快進撃。昨年の覇者国際大会豊かな平野美宇の口惜しい表情と逆に淡々とした木原美悠にびっくり、大物を感じたのは私だけではないだろう。
遠い全日本卓球が身近に感じられた。小生も伊仙中学校女子卓球部を鹿児島県で新人戦優勝 第一回全国選抜中学校卓球大会に導いた者として夢と可能性を今の若者、指導者に期待したい。
当時子どもたちに語ったこ言葉を思い出す。「靴を並べること。元気な挨拶。先んずれば人を制す、スタートダッシュで出遅れない。心中の賊を破るは難し。テレビ・マンがを見ていては勝てない。犠牲なくして勝利は勝ち取れない。」。昼休み給食の後は自主トレの名のもとにサーキットトレーニング、素振りに励んだ。その当時(平成11~16年度)大島地区女子6連覇を成し遂げた。
子どもたちの可能性は無限、夢・希望を叶えさせたい。