10数年前発足した「クロウサギの里」定款の一部を紹介するが、殆ど全会員による活動は休眠状態だった。先日の14日 アガリマタイジュンで総会を持ち、役員を再度決定、その間亡くなった理事を補充した。小生も副理事長として継続することになった。会としては活動してないが、ユネスコ又は郷土研究会の一員としてこれまで動いてきたことの継承を「NPOクロウサギの里」としての再始動である。定期的な学習(情報交換)とシマを語り継ぐ文化(島口、島唄)をメインとする。アガリマタイジュン(茶屋)を起点とすることになる。乞う、ご期待!
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皆既月食
カワウのオオウナギ捕獲と漁夫の利 南海日々新聞
一昨日のカワウによるオオウナギ捕獲の記事が出ました。北区自治会ラインでは動画を紹介しましたが新聞に掲載されるとは、ラッキーです。
キジバト・アオサギ
大瀬川、野鳥に魅了される昨今です
大瀬川の野鳥撮影にチャレンジ!
きっかけがあれば、人は動くはず!
その信念のもとで活動しているが、先日早朝の指宿安夫先生の水辺の野鳥講演実施は悪天候の中だったが参加者はわたくし同様「知る」ことの大切さを「思い知った」はずです。いつも見ている水辺、生き物のこと。その一部でも知ることが、伝えることに繋がり、環境保全の思いを強くできるでしょう。
早速奄美の野鳥図鑑を注文し、カメラを持ち出し撮影開始。写真を指宿先生に送付し、確認のうえブログへのアップとなりました。オオバン、ハクセキレイ、チュウサギ、アオサギ、イソシギです。写真のトリミングや文字入れも取得、趣味が増えました。
アガリ又イジュン
10数年ぶりの鍾乳洞目手久、検福ー入口が様変わり
昨日午前8時45分頃から10数年ぶりに東目手久鍾乳洞を訪ねた。当時は道路脇からきび畑の畦を横断して水路伝いに行けばたどり着けたが、今回はさらに上まで登って右側の雑木林、竹林を経て小川に到着、ここを登っていった。当時の水路には木々が生え覆い尽くしていた。もはや10年過ぎると自然の猛威繁殖には抵抗できないのだ。更に台風の跡で、木々は倒れ大木も倒伏手のつけようがない。やっと通れるようにのこぎりで切って進む。当時楽々に案内した私がとまどうのだから、驚きとしか言いようがない。美山保さん達は昨年ここに入って時間経過で騒動し、本人も救急車で運ばれた。それとは知らず私はその本人に案内を頼んだ訳だ。申し訳ない。その後、上に抜けるという場所を案内してもらったが、そこは違法「ゴミ捨て場」と化していた。
美山さんの案内で目手久ダムを初めて知った。渡り鳥も来るという「ため池」だ。
権福の銀竜洞近くの手つかずの鍾乳洞は再発見に時間を要したが記憶をたどって見つけた。当時は「谷間であるため開発の手から逃れている」と説明した鍾乳洞だ。
地上部は赤土畑が広がる。広大な農地だ。近くまで開発の手が伸び、もはや地下部が赤土にまみれるのは時間の問題だ。
おそらくすでに、鍾乳石はつららも赤土で染まっていることだろう。入り口の写真だけ撮って思い出を胸に「永遠なれ、」と別れを告げた。
天城 北中学校1年生フイールドワーク
5月28日木曜日 天城町北中学校1年生フイールドワークを実施した。毎年の実施だが今回は徳之島町と伊仙町を中心に歴史自然研修を目的とした。梅雨時期 徳之島トンネルを降りていくとハブが輪禍に。
8時40分学校出発 最初に地球の歴史、地殻変動を学ぶために花徳海岸「ポットホール」。その出来方となぜ横向きに穴が?などを説明した。母間騒動、なごみの岬で富山丸・武州丸の平和学習。
伊仙町では検福の銀龍(鍾乳)洞、鍾乳石のでき方、種類。カムイヤキ(国の文化財指定)作り方や南方から東北まで交易の話。鹿浦小学校旧奉安殿では天皇皇后のご真影、教育勅語があり戦時体制の中で現人神としての天皇主権教育。メランジュではその出来方、大陸プレートへの海洋プレートの滑り込み、付加体など。犬田布騒動(同胞を見捨てない、見て見ぬふりしないシマンチュの正義感、命をと賭した救出と戦い)・・・時間がなく戦艦大和の話はバスの中で。
奄美の梅雨といったらイジュの花。白い花が真っ盛り・・・イジュの木のことを話しました。
もっと行きたいところがあったが時間調整で省略。黒潮の塔(戦時中)代官所跡、殿地墓、薩摩侵攻「秋徳の闘い」やトマチン遺跡(縄文時代)、面縄貝塚・・・。
4時帰校、生徒は真剣に聞いてくれました。思いはひとつ。「島を誇れるこどもたちに」