10年前 人権同和教育研究会 ブログから

2012年 2月 2日 (木) 人権同和教育研究大会(徳之島)

三町人権・同和教育研究大会が1月31日 天城町中央公民館であった。

会長職5年、実践レポートも昨年30本、今年も29本。人権同和教育の実践が広がっている。 ハンセン病問題、生命尊重の授業。特別支援教育ではハンディを持ちながらも記憶面で優れている子の紹介や、個性の違い、その中で奮闘する教職員集団取組が報告された。 「地域の学校に行きたい、」「徳之島に養護学校の分教室・分校を!」今徳之島の支援教育が動き出した。

7日県議会議員 柳誠子が来る。徳之島町生涯学習センターで講演がある。span> 与論高校の分教室も教職員と教育行政の積極的な支援、地域の運動が功を奏した結果だ。与論高校の成果を検証するため3年間を待つのでなく、分校設置の運動を三町で連帯していくことだ。 「より深く関わる営み」が大切だ。

10年後 徳之島高校に大島養護学校の分教室は出来、有志の夢は実現した。

2010年米軍基地移設反対の運動も 功を奏した。だがウクライナへのロシア侵略をある面ソファーに座って見ている。戦争に正義はない、「基地移設報道」あの時の苦しい思い、喉元に銃剣を突きつけられた苦しさ脅威を忘れてはいない。ウクライナ、ロシアで戦争を指示命令しているのは政治家のトップ、夢希望を持った若い兵士が戦場に向かい、墓場へ。きみ死にたまうことなかれ 与謝野晶子 の詩を熟読してほしい。

花はどこへ行った ♪

繰り返される悲しみ、誰が何のために?

sdgsと平和教育

第二次世界大戦後75年が経ち世界に「平和」が訪れたかと言えば、誰もYesと答える人はいないであろう。 自国の安全は確立しようとするものの、戦後も世界のあちこちで戦火は絶えない。

SDGsは2015年9月に開催された国連持続可能な開発サミットにおいて、全会一致で採択されたもので、その目的は「2030アジェンダ」として明らかにされている。その前文には、「我々はこの共同の旅路に乗り出すにあたり、誰一人取り残さないことを誓う」という力強い宣言があり、「その実現には、人々の知恵や技能の格段の進展や、意識改革を促す教育改革は根幹をなす必須条件であろう。」(諏訪哲郎 2020)とも訴えている。つまり、地球で生活する誰一人も取り残さないためには、全地球人が全力で知恵と力を振り絞っていかなければならず、その中でも教育が果たす役割は大きなものと言える。

戦争は人の心の中から生まれる 宗教 生まれ 言葉 あらゆる違いを認め会う寛大な心

心の中に平和の砦を築く ユネスコの憲章の思いを常に持ち続けたい。

世界自然遺産に向けて10年前の思い 沖縄タイムス 寄稿2

徳之島に米軍基地移設を!この時畜産を営む農家は「爆音で繁殖に悪影響だ」、と猛反対した。世界自然遺産候補地として逆行する!殺人部隊は来ないで!

島民の15000人が集結して NO!基地 を訴えた。

奄美大島は名瀬、瀬戸内に陸上の基地を許した。早速米軍との共同訓練が実施された。沖縄から南西諸島は本土防衛ラインとなった。中国・北朝鮮を仮想敵国として。かつてないほどの戦争に巻き込まれる危険性がやってきた。令和という美しい時代が奄美にとって冷戦を思わせる時代になってはいけない。

アマミノクロウサギが爆音で減少したり、子どもたちから美しい自然の奏でる音色を取り上げてはいけない。学校のガラスが防音で分厚くなったり、暑さ対策でなく爆音がうるさくて締め切るのでクーラーを設置することにならないでほしい。10年ひと昔、基地反対した戦争経験者は少なくなって、ゲームで模擬戦争する世代が政治家になってきた。戦争の悲惨さを今一度、思い出してほしい。

「徳之島のDNA」第一回唐獅子 沖縄タイムス寄稿 10年前の米軍基地移設反対闘争の最中連載

10年ひと昔と言う。だが30年平成の世に生きた人々が何もなかったかの如く、新しい玲和の時代を歩んでほしくない。私たちが先人の生き様を胸に熱い思いで断固米軍基地移設反対闘争を戦ったこと。平成の世を生きた者として心に刻んで欲しい。それは母間騒動、犬田布騒動という薩摩藩圧制時代ともオーバーラップする。

2010年1月 三町人権同和教育研究大会(当時会長)の日であった。K氏からの電話、お昼のNHKニュースで「徳之島へ米軍基地移設」が報道された。大会終了後には移設反対の決議文を手にしていた。研究会参加者へ配布、その夜に労働金庫二階で決起集会を開催。徳之島の自然と平和を考える会発足。以下闘争の過程を紹介しながら沖縄タイムスから依頼された「唐獅子」投稿を掲載します。

歴史自然探訪ツアー(奄美大島教育会館維持財団主催)

奄美大島教育会館維持財団主催の歴史自然探訪バスツアーのガイドをした。薩摩藩制時代にさかのぼり、まず秋徳 の戦いを検証。伊仙廻りで鍾乳洞見学。4,50年前の観光ブーム時代に開発された鍾乳洞の黒く焼けた跡と一部復活する鍾乳洞の輝き。地上部との関連、エコ ツアーとして地球環境を身近で学習できた。戦績では旧奉安殿と戦前戦中戦後の学習。防空壕では「暗い防空壕が安心安全な場所、田植えは夜行った」。戦争と平和学習。島民の見守る中で戦闘機が交戦し、撃墜された「黒潮の塔」で少年飛行兵の最期を住民の聞き取りをもとに伝えた。
なごみの岬 輸送船富山丸の最期と島民の驚き、6月29日の早朝 3700余名の戦死者の状況を記録によって伝え、疎開船武州丸148名の徳之島の疎開者の最期。1歳に満たない5名の乳飲み子・・・・。戦争の悲惨さを伝えた。

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