sdgsと平和教育

第二次世界大戦後75年が経ち世界に「平和」が訪れたかと言えば、誰もYesと答える人はいないであろう。 自国の安全は確立しようとするものの、戦後も世界のあちこちで戦火は絶えない。

SDGsは2015年9月に開催された国連持続可能な開発サミットにおいて、全会一致で採択されたもので、その目的は「2030アジェンダ」として明らかにされている。その前文には、「我々はこの共同の旅路に乗り出すにあたり、誰一人取り残さないことを誓う」という力強い宣言があり、「その実現には、人々の知恵や技能の格段の進展や、意識改革を促す教育改革は根幹をなす必須条件であろう。」(諏訪哲郎 2020)とも訴えている。つまり、地球で生活する誰一人も取り残さないためには、全地球人が全力で知恵と力を振り絞っていかなければならず、その中でも教育が果たす役割は大きなものと言える。

戦争は人の心の中から生まれる 宗教 生まれ 言葉 あらゆる違いを認め会う寛大な心

心の中に平和の砦を築く ユネスコの憲章の思いを常に持ち続けたい。

戦争に正義はない 

井之川中学フィールドワーク 歴史、戦跡学習の感想が南日本新聞に載ってた。

なごみの岬では武州丸慰霊碑の前で148名の御霊に平和を願い、約束した。77名の児童生徒。ゼロ歳児の赤ちゃんが5名。沖縄で聞いたイラク戦争帰還米兵の「戦争に正義はない」の言葉や戦争では報復が報復を呼びエスカレートする。海の藻屑となった子どもたちの夢、希望を奪った戦争。戦争は戦場で男が戦ったがその犠牲者は女性子ども老人たちすべてに及んだ。

「戦後私たちは平和を守ったが平和は作るもの、他国との友好的な外交が必要。平和な時代を君たちの手で存続させ築いてほしい」と語った。

奄美最古の土器、隆帯文土器のでた下原遺跡や線刻画から防空壕まで戦跡を歩いた。修学旅行の事前学習兼ねての徳之島巡りだった。

 

 

三線愛好会鹿児島帰省親子の30分ミニコンサート

基山くん兄弟(阿権小学校)は約二年、我が三線愛好会でシマウタ、奄美・琉球新民謡に取り組んでいます。

正月の帰省前にはおじいちゃんたちの前でミニコンサートを開催することを目標に頑張りました。

結の歌、てぃんさぐぬ花、いきゅんにゃかな、徳之島小唄、イネスリ節、うぎ節、ワイド節、アンコール曲はおはら節でした。

見事、演奏し拍手喝采だったそうです。

鹿児島からきて学年は彼ひとりです。阿権小学校で今年最上級生6年になります。

今や1時間で一曲をマスターするぐらいです。継続は力、好きこそものの上手なれですね。

さて、今日は幸多つばさが成人祝で帰省、姉ちゃん、赤ちゃんも一緒に訪ねてきました。

2009年薩摩侵攻400年記念シンポジウム以来の再会

あまみ庵、奄美全域の歴史書 中古本を販売している 森本さんです。

奄美への熱い思いを語りました。

戦時中、1944年6月末徳之島へは奄美守備隊独立混成第64団約7000名が入り山中にタコツボや戦争準備のあとがあり、6500名の疎開命令が出された。戦場となる想定だ。

だが森本さんのしまんちゅからの聞き取りではこの頃大島、瀬戸内や喜界島では区長等を中心に米軍が上陸してきたら島民は集団自決をするようにと場所や方法が浸透していた。

沖縄と同じ運命を背負っていたのです 。戦争が住民を巻き込むという証言を得ました。

 

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広報紹介 コロナ禍でも歩み止めない

今年もあとわずかです。コロナワクチン接種証明書アプリを昨日ダウンロード、本日マイナンバーから接種証明が得られた。駐在員会でもその話をしたが、役場職員はアプリの実態や証明書発行を熟知してなかった。マイナンバー暗号番号4桁を忘れて戸籍係で再発行したことも、伝えたがまだまだ浸透してない。

ふれあい餅つき大会 ホールインワンゲーム

ふれあい餅つき大会、ホールインワンゲームなどに80名もの区民が参加しました。コロナ禍での久しぶりのふれあい活動にお母さんがたや力自慢のお父さんがペッタンペッタン。御孫さんのてをとってペッタンペッタン餅つき体験させるおじいちゃんの微笑ましい姿もあり、楽しい思い出に残る行事でした

井之川中学校戦跡、歴史探訪2021

12月13日 井之川中学校1年生は再来年実施される 修学旅行(長崎)の事前学習も兼ねて世界自然遺産登録の2021年に徳之島の歴史自然を学んだ。

なごみの岬で富山丸、疎開船武州丸の悲劇をつたえた。148名77名の乳幼児、児童生徒。サイパン島陥落の後、全国の子供たちへ疎開命令。徳之島では国防、本土防衛の戦闘のため足手まとい、口減らしであったこと。

銀竜洞では鍾乳洞と沖縄のガマ、集団自決の様を伝え日本軍のみならず国のためと称した少年の自爆行為を募ったこと、1985年当時、集団自決のチビチリガマに入った時の燃えかすや遺留品・・・。鹿浦小学校の旧奉安殿と天皇、教育勅語とブローニング機関銃の弾痕と実際の弾丸を紹介。犬田布岬 水上特攻としての戦艦大和、「時代の進歩を軽んじた敗戦」。

下原遺跡では1万3800年前の隆帯文土器や2万5千年前の生活跡があったこととAT火山灰層、スリ石~人類の北上説。兼久小学校当部分校跡(現公民館)で昼食。アマミノクロウサギ観察小屋周辺の獣道、夜行性で食性など、さらにはロードキル交通事故。保全と観光のギャップ。

徳之島を中継基地とした特攻隊と喜界島への移動。

防空壕跡では朝鮮人の徴用工と野戦病院、兵隊の防空壕としての機能。安心安全な場所がここ、すなわち防空壕であったこと。月の明かりで田植え農作業、昼間の危険性。

史跡巡り 世界自然遺産登録で島を誇りに思える若者が育ってほしい。先人が守ってきた自然と文化を学び知って伝えること。平和と戦争、体験経験者からの聞き取りをしてほしい。

真剣な教師と子どもたちであった。平和を守り作る若者へのメッセージを語り継ぐことは戦争犠牲者、疎開船武州丸で亡くなった方々の遺言として続けたい。