今、思う 安住寺と一向宗、宗教弾圧

安住寺 薩摩藩政時代寺院

 

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正面の森は枕状溶岩でできており、安住寺の跡
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山徳峯 胸像 亀津小学校内
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亀津NTT前
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伊仙義名山神社

2014年に投稿した旧ブログを開けてみた。安住寺が学問発祥の地であること、さらに一向宗がなぜ迫害されたのか。「生きとし生けるものは皆平等である」とする宗教が封建時代の薩摩藩、為政者側から弾圧された。当たり前の考え思想が為政者側には邪魔になる。宗教さえも独善・独断に解釈される。ロシアの暴挙はなぜ起きたのか。今、戦後教師たちの「再び子どもたちを戦場に送らない」のスローガンに思いをはせる。

徳之島の最初の寺院「安住寺」
 (薩摩藩の命により、創建された禅宗系の寺院)が井之川に建立されたのは、元文元年(1736)のことです。この時から島は禅宗に改められた。
延享元年(1744)に亀津村へ移転、明和7年(1770)伊仙村義名山へ。さらに天保3年(1832)再び亀津へ移された。
明治の代になってまもなく、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動により安住寺(亀津)は廃寺となった。
この跡地に 山徳峯(やまとくほう)たち有志の手によって簡易学校となり、明治5年全島から子どもたちが集まり開校。

井之川から亀津そして伊仙義名山、さらに亀津へ移転し禅宗の布教が行われた。明治時代に徳之島発の学校が開校された安住寺跡が亀津小学校の丘、NTT敷地前にある。
禅宗が布教される前から薩摩藩が一向宗を弾圧したことは知られている。隠れ念仏 など「生きとし生けるものは皆平等である」とする宗教が封建時代の薩摩藩、為政者側から弾圧され14万人ともいわれる人たちが迫害を受けた。徳之島の宗門手札改めによる人口調査はまさに農民一揆を恐れる藩の姿であるが、これによって当時の人口を知ることが出来るというのも皮肉なことだ。南無阿弥陀仏・・・・。参考までに宗教の自由は明治9年からでした。

新年度、発進!くらこし公園にトイレを!5月号

総務課へ要望書を出しました。「奄美振興特別予算枠」として考えてくれるそうだ。

「公園にトイレがない、このことをもっと地域が真剣に自分の事として考えていたら、もっと早く実現できたのでは、」と反省する。

災害に直面して、避難場所にトイレがないと気づいた。ならここ公園で遊ぶ子供たちは不便を感じなかっただろうか。というよりここで遊ぶこどもらを見たことがなかった。そうなんだ、トイレのない遊園地公園って、都会では考えられないのだ。すべりだい、ブランコもあるのに、子ども目線で見ていなかったのだ。

令和3年度振り返って 北区自治会総会挨拶文

自治会を代表してごあいつを申し上げます。 2022年4月23日 総会

1 最近の世界情勢を見ますと、大変悲しく、ウクライナは「世界は子どもたちが殺されるのをみていて黙っている」と報道されるのは、とてもつらいです。

ロシアの独善、独裁者プーチンをなんとかできないものか。あのような人を元首としてきた国内の情勢を見たとき、過去に軍国主義・天皇主権とした日本の歴史とも似たような複雑な気持ちです。第三次世界大戦は避けなければなりません、まさに我慢比べです。

2 このような暗い中で、21日の新聞で伊仙町、天城町の「小中学校児童生徒の給食費無料化」は未来の子どもたちへのエール、保護者の負担を軽減する画期的なことでした。

義務教育は未来の子どもたちへの投資です。教育を無償で提供してきましたが給食だけは保護者負担とされ、教育条件整備は完全とは言えませんでした。

徳之島町の6億円ものふるさと納税は、その1部をまず未来の子どもたちへ充当し、活かされるべきで、子育て世代は何らかのアクションを起こすべきです。

さて、

 令和3年度もコロナ禍の中にあって、大きな敬老会、町民体育祭他文化祭等も実施されず、これまでの当たり前の日常が奪われました

また集落内では、故重岡会長さんほかこれまで地域の為に尽くされた方々が他界され、寂しい限りです。

4 私的なことですが、昨年の7月 深夜 妻がくも膜下出血で自衛隊ヘリで大島病院へ搬送されました、今回、離島の医療、ドクターヘリも夜間は飛ばないことや、県知事への申請 早くて4時間後ということを切実に体験しました。

9時間に及ぶ手術を経て、運よく回復し安堵しているところです。

その間、多くの方々に心配をかけ、また励まされて今日という日があります。

ありがとうございました。心から感謝申し上げます。

5 さて、この1年、子ども会から青年 壮年、女性連、高齢者クラブの活動は、コロナ禍のわずかな間をさがして着実に実施されました。

このあと事業報告でも詳しく映像で説明しますが(パワーポイントプレゼン

(ボランティア清掃、ふれあい農園の芋植え、除草、収穫 子ども会、育成会、青年部、高齢者クラブ、女性連多くの人が参加しました。

子ども会の歓迎スポーツ大会、さらには青壮年、有志による旧公民館の作業や数回に及ぶ蔵越公園や通学路の除草、伐採。)

これらの活動はいずれも、参加していないと「見えません」、

そのため行事の「可視化、見える化」を図るため広報北区でお知らせしています。

広報によって各種団体の動き、繋がりが見えます。

 

6 本日は未来を創る青年子どもたちのために、自治会活動はどうあるべきか。

忌憚のない未来志向的なご意見、要望などお聞かせいただければ幸いです。

 

また、ご高齢にもかかわらず、顧問を引き続きお受けいただいた、幸田隆久さんにご出席いただき幸栄に思います。今後ともご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

こんにちの、コロナ禍にあっても、停滞せず、積極的に活動を実施してきた区民の皆様に感謝の意をお伝えして 挨拶とさせていただきます。

 

久しぶり晴れのドライブ

阿権で旧平家を伊仙町がリニューアルしたと聞いて訪ねた。まだ外観の塗装など未完成状況だが以前足を踏み入れるのに躊躇した家屋の裏側までぐるっと回って見学。豪農と言われ民衆の支配者的立場で島役人でもある平家はヤンチュ(債務奴隷)を相当数使い建築したであろう周囲の石垣や建物。

そこを出ると観光客がガジュマルと石垣の下で記念写真撮影、ここの江戸時代に積まれた石垣を島の人はどのように説明するのであろうか。観光客はどのように受け取るのだろうか。薩摩圧政時代、黒糖地獄といわれた時代背景と今の世を、どのように繋ぎ説明するのだろうか。

帰りに馬根で常たかゆきさんが孫を馬に乗せて散歩していたので、うれしくて車をストップ。記念撮影に応じてくれた。

今日は北中学校フィールドワーク 徳之島町・伊仙町巡り

今は午前3時前だ。

夢を見ながらトイレで起きた。

夢の中で短歌を作っていた。内容は

「夢の中 今はジャガイモ   収穫期 ロシアと交わす休戦交渉」

TVの情報が夢の中にも・・・。ウクライナからの撤退を!国連決議の中で孤立するロシア、独裁者プーチンによる国民の嘆き。第三次世界大戦を危惧する世界の人々。私欲・物欲がもたらす人間の醜さだ。

写真は広報北区、ジャガだるま、

昨日は長男拓磨が奄美市議会で一般質問の日だった。頑張っています!

さて天候は昼から雨模様

伊仙町スタートだ。

犬田布騒動、犬田布メランジュ、ミャトバル(塩田跡)などから

「もうひと眠りするか!」

午前中は晴天、小原海岸を展望、島民の農閑期保養リラックス、タラソテラピーの場であった。次いでAT火山灰層、20年ぶりの再会だった 2002年2月の発見当時が懐かしかった。3万年前の姶良カルデラ噴火?の灰が積もっている。嬉しいですね。ここで故中山清美さんとの記念写真がある。

塩田、メランジュの地質成り立ち学習も楽しかった。

今日は北中学校の生徒と記念撮影。5月に修学旅行沖縄です 沖縄戦とも無関係でなかった徳之島戦跡。旧奉安殿の機銃掃射跡、弾痕。平成17年から毎年続けているフィールドワーク 自然、歴史 特に鍾乳洞は子どもたちが喜ぶ場所だ❗だが地下も地上の環境に左右されている、事を学ぶ。

カムィヤキの歴史 なごみの岬で富山丸輸送船と沖縄戦 疎開船武州丸の戦死。

 

ジャガイモ今年は?

昨年に引き続きジャガイモはスタートがkg205円だったそうだ。相場はジャガイモ農家に有利に動いている。品薄、全国的に風水害などで不作だったのか。気候温暖化で気象条件が災いしてどこかで悪ければこちらが良くなる。賭け事でもある。安定した収入を農家は求めている。その点サトウキビはバブル期からほとんど1トン2万円そこらだが「基幹作物」として定着。

国会、県、市町村議会の議員の皆さんには力をいれてほしい「サトウキビ」の政府補助金をだ。世界情勢から甘味資源を確保するために米と同様、食糧自給率をたかめるためにもアクションが必要だ。徳之島町議会議員選挙も間近だ。生活に直結する政策ビジョンを持つと同時に未来志向の熱い思いを持つ議員、学習する姿勢の議員が誕生してほしい、と切に願う。

我が愛妻も昨年のくも膜下出血という大事を徳州会病院と自衛隊ヘリの緊急搬送など普段目にしない陰の力とも言うべき人たちのおかげでほぼ回復し、社会復帰できた。

コロナ禍パンデミックで医療従事者の苦労と犠牲を見ている。世の中のあらゆる不具合、困り感のある人々に政治が気づいてくれたらと、老婆心ながら思う。