大雨による河川の増水のため樹木伐採を要望した。併せて上流の砂防ダムの耐久調査が入ったため立ち合いを要請され、説明を受けた。1ケ月ほどかけてダムのボーリング4か所で強度を測定。ガジュマルが上部の境目に生えて木根が伸びコンクリートが破損個所や石ころの落下で滝壺状態に水圧で掘削された個所などがあった。また、土砂が満杯状態なので除去することになる。いずれにしても狭く人が入らない場所だ。その後、下流の伐採も始まる。砂防ダムも1976年から半世紀たとうとしている。補強など対策が必要だろうと説明を受けた。
Author Archives: katuhiro
あまぎ学
初めてのボッチャ
武州丸慰霊の夕べ



2010年1月沖縄の米軍基地を徳之島へ移設
沖縄県民同様、銃剣を胸に突きつけられた苦しさがありました。
今またジワジワとにたような恐怖が迫っています
ロシアのウクライナ侵略、台湾有事、尖閣諸島、北方領土問題
😪かつて日本が中国に侵攻し満州国という傀儡国家を作り、国民を満州に送り込み、アジアでは大東亜共栄圏と称して侵略戦争、広島 長崎 沖縄の地上戦310万人という戦死者の結果終戦 😄それでも軍部は一億玉砕 戦争遂行を叫んだ
誤った政治家、軍部の独裁によって戦争は始まった
😃過去に目を閉ざす者は現在において盲目となる
ドイツ ワイゼッカー大統領の言葉
過ちは再び繰り返さない
戦争の放棄を訴えた憲法9条です
目には目を、
戦争は憎しみを増幅させ、報復は新たな報復を生み出す
😀命どぅ宝
命に軽い重いはない、
11年前の夏、子どもたちの夢と希望を奪った戦争の悲惨さを風化させない、そのような思いで作った紙芝居が
武州丸からのメッセージです
😳今は戦後か、戦前か
武州丸と平和を考える会のテーマであり、わたくしのライフワークです😌💓今は戦時中であるという事を共有し、皆さんと共に平和を考える機会に出来ることが真実の慰霊であると考えます。
あまぎ学フィールドワーク予定
令和4年度あまぎ学 北中学校行程(案) 天城町吉野さんから 北中学校学習案内の計画表
キャリア教育含む
9月22日(木) 北中学校 1年生 生徒24名 教諭●名
講師:幸多 勝弘 先生
【行程案】
9:00 北中学校 発
↓
9:30 下原遺跡 付近 着
10:30 下原遺跡 付近 発
↓
10:45 戸森の線刻画 着
11:05 戸森の線刻画 発
↓
11:30 クロウサギ観察小屋 着
12:00 クロウサギ観察小屋 発
↓
12:20 上名道森林公園 着
※昼食
13:05 上名道森林公園 発
↓
13:30 天城岳松原登山道 着
※軽登山(動きやすい服装、飲み物、タオル)
14:20 天城岳松原登山道 発
↓
14:40 浅間 特攻隊慰霊碑 着
14:55 浅間 特攻隊慰霊碑 発
↓
15:00 北中学校 着 【終了】
10年前 人権同和教育研究会 ブログから
2012年 2月 2日 (木) 人権同和教育研究大会(徳之島)
三町人権・同和教育研究大会が1月31日 天城町中央公民館であった。
会長職5年、実践レポートも昨年30本、今年も29本。人権同和教育の実践が広がっている。 ハンセン病問題、生命尊重の授業。特別支援教育ではハンディを持ちながらも記憶面で優れている子の紹介や、個性の違い、その中で奮闘する教職員集団取組が報告された。 「地域の学校に行きたい、」「徳之島に養護学校の分教室・分校を!」今徳之島の支援教育が動き出した。
7日県議会議員 柳誠子が来る。徳之島町生涯学習センターで講演がある。span> 与論高校の分教室も教職員と教育行政の積極的な支援、地域の運動が功を奏した結果だ。与論高校の成果を検証するため3年間を待つのでなく、分校設置の運動を三町で連帯していくことだ。 「より深く関わる営み」が大切だ。
10年後 徳之島高校に大島養護学校の分教室は出来、有志の夢は実現した。
2010年米軍基地移設反対の運動も 功を奏した。だがウクライナへのロシア侵略をある面ソファーに座って見ている。戦争に正義はない、「基地移設報道」あの時の苦しい思い、喉元に銃剣を突きつけられた苦しさ脅威を忘れてはいない。ウクライナ、ロシアで戦争を指示命令しているのは政治家のトップ、夢希望を持った若い兵士が戦場に向かい、墓場へ。きみ死にたまうことなかれ 与謝野晶子 の詩を熟読してほしい。
花はどこへ行った ♪
繰り返される悲しみ、誰が何のために?
夏休み学校職員研修講師
終戦記念日に思う 語り継ぐ実践を通して
大本営発表で勝利!確信して若者を戦場に送り出した満州事変、日中戦争、太平洋戦争。310万人の戦争犠牲者を出した日本。果ては一億玉砕と国民を死へと導いた 軍部、戦時教育の教訓は活きているのか。
終戦記念日は果たしてそうなのか。今は世界戦争前夜の様相を報道機関も流している。だが、日本国民にその危機感は無いに等しい。コロナ禍でも観光経済政策に目を囚われウクライナや周辺国、中国とロシアの合同訓練も開始されようとしている。それはロシアがウクライナ進行前に訓練と称して軍隊を移動結集していたのと変わらない。要するにいつでも台湾有事も起こりうるし、与那国や波照間 南西諸島が中国から、そして北方領土から、北海道へとロシアの手がのびることを意図的に画策、日本をも威嚇している。
そんな時、日本政府は専守防衛という9条を無くし攻撃のできる国づくりを憲法改革でやろうとしている。
人道的な支援こそ世界が求めている時代に、あの忌まわしい第二次世界大戦の前夜ともいえる軍事力の増強に世界が走っていく。目には目を!棒を持てば石を投げる、刀で、槍で、鉄砲で・・・・世界破滅の道筋を政治家も「防衛」という名の先制攻撃を目論んでいる。危ない!
戦争体験者の声は8月だけのことなのか?1944年9月25日疎開船「武州丸」からのメッセージは聞こえないのか。子ども老人、婦女子が犠牲になった戦争の体験は忘れられ、ゲーム感覚の政治家が世界の平和を願う、貧しくも幸福な人々の「今」を破壊し、私利私欲のため戦争に走る。
一発のミサイルが2100万円、これでどれだけのミルクが買えて、何万人の子どもたちの命が救えるのだ。
軍需産業は栄え、武器商人は豪邸にくつろぐ。貧しい人々は貧困ゆえに、イラク戦争の州兵が奨学金ほしさに戦地に向かったように、いつか経済格差によって日本の貧しい若者は食うため学びの奨学金ほしさに、殺人者になる。生きるため、国の為?今のロシア風がやって来る。
戦前の今、考えてほしい。「命ど 宝」私の妻は昭和の時代、幼い子供二人に言っていたのを思い出す。「戦争になったら足の一本を切り落としてでも兵隊にやらない」と。
武州丸の犠牲者148名と内77名の子どもたちの御霊に「再び子どもたちを戦場に送らない」と約束し、今年も慰霊の夕べを9月24日午後4時から なごみの岬で実施します。
夏休み平和学習 犬田布中学校
今は戦後、戦時中、戦前?
日本は太平洋戦争終戦から戦後、といっても良い。中国や北朝鮮の軍拡、そしてロシアのウクライナ侵略、ミャンマーの軍事政権などを思うと戦時中であり一触即発の戦前ともいえる。ロシアの状況を見ると日本の戦前を思わせる。自国の貧困から満州へ渡り、開拓団と称して満州の人々の土地を奪う。それとは知らず満州へ渡る日本国民だった。日中戦争が勃発、侵略国家となり三国同盟に活路を求めたが米英はそれを許さず経済制裁。ここまでくると今のロシアと似ている。戦争はいつの時代も男社会、政治家が起こす、が犠牲者は老幼婦女子である。
学童疎開船の対馬丸・武州丸の悲劇から78年だ。記憶に新しい。悲劇を忘れず伝えたい。
沖縄の鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊や少年たちの特攻隊、学徒出陣と若い青少年の夢と希望が絶たれる。誰のため?何のため?命を捨てるのか。戦争はお互いの「正義」の戦いである。言い分がある、そして報復は新たな報復を呼ぶ。憎しみの連鎖を絶つことができるのか?これこそが政治家の仕事。国民の弱者である、貧しい、学歴の低い人たちが前線に送られる。イラク戦争でもアメリカの州兵隊が奨学資金ほしさに出兵した。
今の政治家は、生々しい戦場も痛みも知らない。自分たちが戦場、前線に立つはずはない、と信じている。外交努力で共存共栄の思いを怠けていると、いつのまにか恨み、嫉妬を買う。独裁者を出してはいけない。ぬるま湯から抜け出して、若者たちの未来・夢のために国際協力、努力をすべきだ。
少なくともこのどさくさに紛れて軍事力増強、核兵器持つべしなどと右傾化し、元来た道に戻らないでほしい。再び子どもたちを戦場に送らない!大人であってほしい。






























19日















