11月13日天城小学校で戸森の線刻画シンポジウムがあった。いろんな見地から報告がなされた。具志堅 亮氏は天城町で実際に調査担当している。その思いが述べられた。船の図が正確に描かれている。(松木 哲氏は全く性格ではない。帆がこんなにあれば船は転覆する。丸木舟も底はまっすぐであるべきだが丸くなっている。と反論)。線刻画に設計を求めるのは無理があるようだ。また歴史的に薩摩侵攻の時代に残そうとしたと考えられると永山修一氏は語るが、なぜ鉄砲は出てこないのか、の質問に「書く人の自由では・・」。第三線刻画の土壌分析結果が17、8世紀と出たための歴史背景だ。木下尚子氏は矢先の形から狩猟目的、殺傷目的そして逆▽の矢先もあり14世紀ころ沖縄本土で出土している。なぜか?と投げかけた。私見だが、琉球の歴史に関心があれば三山の統一(1429年)当時、南山、中山、北山の戦いがあり沖縄では牛馬等の骨が武器として矢先に使われたことは容易に想像できたはずだ。またこの当時はキコエノオオキミを頂点とするノロによる祭政が行われていたことから、祭祀の場として、造船にかかわる航海の安全祈願等による悪霊を排する弓矢であった、とする私の考えは琉球弧の歴史ロマンとしてどうだろうか。船の設計図が下手であるとする松木氏のダメ押しに対して私はノロが指示し、また自らの作品「線刻画」であれば下手であっても納得できる。関係者の熱心な討論だが、シマンチュの関心事は古くから「舟下ろし谷」「船田」とよばれていたことから、大木で作られれるくり船からイカダ、小さなサバニなどである。大きな帆船を作っていたわけではないだろう。ゆるやかに歴史ロマンとして線刻画をとらえ。描いてみることだ。
Author Archives: katuhiro
三線愛好会 結
伊仙町産業祭
奄美大島、徳之島の青年教師 徳之島フィールドワーク
歌舞伎「牛若丸」公演を前に
子ども劇場の皆さんは来年、2月の徳之島文化会館で公演される「牛若丸」歌舞伎 前進座 に向けて事前学習をしています。この日はあいにくの雨天で雷、徳之島町の駅伝大会も中止に。その中で集まったお母さん、子どもたちに1時間20分ほど牛若丸が実在した人で、幼少から源義経として平安時代から平家を倒し源氏、鎌倉時代の武将であること。生い立ちから、自害するまで。そしてその以前から奄美・徳之島がカムィヤキ、ヤコウガイなどシェルロードとして東北まで金色堂の螺鈿細工などの交易があった。など歴史のロマンを語りました。最後に「何を学ぶのか」問題提起と。ルビンの杯などを例に視点を変えると歴史が変わることも。こどもたちからの質問もありました。
夢振興会 会長一行歓迎
仙寿の里 祭
伊仙町福祉協議会から学校単位で唯一 ボランティア団体として登楼されている鹿浦小学校は三回目の「祭」に参加。夏の台風襲来のため延期されていた祭は心地よい秋風の下で行われ盛会でした。
徳之島の歴史文化自然遊歩記
さて、ブログも最新バージョンになり我が身も心機一転、ですね。実は最近とってもはっぴいーなことがあったんです。二男夫婦に待望の赤ちゃんが!お医者さんに行き、確証が持てましたので居ても立ってもおれず発信です!。おめでとう!うれしいです!
同時に我が年齢は65才、高齢者の仲間入りです。節目年齢、肺結核の検診お知らせとか、介護保険料の案内にビックリ!「高い!」相互扶助とはいえ、これはいじめだ!もっと政府の援助が欲しいね。奄美琉球の世界自然遺産登録も間近です。そのまえに国立公園指定。徳之島町文化祭も11月3日もうすぐ。三線愛好会 結もメドレーで「パラダイスうるま島、いねすり節、ウギ節」演奏です。昨年のメンバーから6人が転出新人が10名ほど、初めてのステージに皆さん緊張でしょうが終われば達成感と喜びが待ってます。最近はうなりがみ信仰「ヨイスラ節」も唄っています。
昨日は伊仙町文化財保護審議会があり、面縄貝塚の国遺産登録が11月頃決まる予想です。石器時代から貝塚時代(~奈良平安)を経て、タイムマシン的な面縄貝塚に注目です。併せて昨日は 島口川柳(小中学生)の選考会もあり、ユーモアや教訓的な川柳がありました。鹿浦小学校では羽衣伝説 鹿浦版の島口劇を3年間取り組み、伊仙町の島口の日に一昨年は葉発表しました。新しい取り組みの継続を願うばかりです。小島のAT火山灰は写真のように広い範囲で確認されました。2億9千年前に姶良カルデラの噴火は想像を絶する規模だったんです。今姶良カルデラは満杯状態に近づいています。2002年2月23日に撮影した「AT」火山灰層で記念写真です。
徳之島の歴史文化自然遊歩記再スタートです!
歴史自然探訪ツアー(奄美大島教育会館維持財団主催)
奄美大島教育会館維持財団主催の歴史自然探訪バスツアーのガイドをした。薩摩藩制時代にさかのぼり、まず秋徳 の戦いを検証。伊仙廻りで鍾乳洞見学。4,50年前の観光ブーム時代に開発された鍾乳洞の黒く焼けた跡と一部復活する鍾乳洞の輝き。地上部との関連、エコ ツアーとして地球環境を身近で学習できた。戦績では旧奉安殿と戦前戦中戦後の学習。防空壕では「暗い防空壕が安心安全な場所、田植えは夜行った」。戦争と平和学習。島民の見守る中で戦闘機が交戦し、撃墜された「黒潮の塔」で少年飛行兵の最期を住民の聞き取りをもとに伝えた。
なごみの岬 輸送船富山丸の最期と島民の驚き、6月29日の早朝 3700余名の戦死者の状況を記録によって伝え、疎開船武州丸148名の徳之島の疎開者の最期。1歳に満たない5名の乳飲み子・・・・。戦争の悲惨さを伝えた。