大島地区高校地歴部会の先生方は12月1日に徳之島を訪れた。徳之島の歴史、自然を終日案内させてもらった。犬田布のメランジュに感激したり、島の歴史、文化、自然に感嘆の声を発していました。私も准高齢者(65~74歳)となり、さらに島・奄美の歴史と琉球弧のつながりをもっと研究し多くの人に伝えていきたいと思う。
Author Archives: katuhiro
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徳之島から世界へ
徳之島から世界へ。シンポジウム資料紹介。国立公園を経て世界自然遺産登録。徳之島の考え方が提案された。生活と密接である、貴重な生態系を「環境文化型」と位置づけた。そのためには地域を主体とする「世界遺産・国立公園」であるべき。地域作りに於いては「自然を核とした」地域作り、地方創生。付加価値型の持続的観光スタイルの構築が提案された。そして徳之島から日本、世界への発信。徳之島モデル、方式。ハードとソフトを兼ね備えた~ならでは、の発想の転換である。シンポジウムで感じることは提案の内容が即、町民に伝わらない、ということだ。これからどうするのか。少なくとも参加者は情熱を持っているはずだ、が地元住民の相互学習機会が少ない。専門家のノウハウを実現するためにシンポジウム、花火だけではもったいない。夜空を彩る花火を見て「きれい!」と感動するのは「人」である。それも一人よりは多くの人と共に感動を味わいたいものだ。平成17年から始めたフィルドワークも60回を超えた。同じ場所で毎回、違った感動を覚えるし、再発見も多い。
ふれあい もちつき大会
12月10日(土) 鹿浦小学校でPTA、地域の皆さんも参加しての「もちつき大会」があった。「昔取った杵柄」といいますが、やはり高齢者の餅裁きは抜群でした。もち米を蒸して、小学一年生からみんなでペッタンペッタン!。臼杵は借用ですが、こんな話を聞きました。「最近はもちつきはまねごとで済ませ。食べるときは衛生面、安全面から買った餅を食べる学校もあるとか・・」。すかさず高齢者の方が「そういうことだから子どもに抵抗力もつかないいだ、昔は田んぼの水も飲んだものだ。」
きなこ餅や醤油味の餅等々。長命草のテンプラも。みんなで楽しく、「いただきます!」。
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線刻画シンポジゥム
11月13日天城小学校で戸森の線刻画シンポジウムがあった。いろんな見地から報告がなされた。具志堅 亮氏は天城町で実際に調査担当している。その思いが述べられた。船の図が正確に描かれている。(松木 哲氏は全く性格ではない。帆がこんなにあれば船は転覆する。丸木舟も底はまっすぐであるべきだが丸くなっている。と反論)。線刻画に設計を求めるのは無理があるようだ。また歴史的に薩摩侵攻の時代に残そうとしたと考えられると永山修一氏は語るが、なぜ鉄砲は出てこないのか、の質問に「書く人の自由では・・」。第三線刻画の土壌分析結果が17、8世紀と出たための歴史背景だ。木下尚子氏は矢先の形から狩猟目的、殺傷目的そして逆▽の矢先もあり14世紀ころ沖縄本土で出土している。なぜか?と投げかけた。私見だが、琉球の歴史に関心があれば三山の統一(1429年)当時、南山、中山、北山の戦いがあり沖縄では牛馬等の骨が武器として矢先に使われたことは容易に想像できたはずだ。またこの当時はキコエノオオキミを頂点とするノロによる祭政が行われていたことから、祭祀の場として、造船にかかわる航海の安全祈願等による悪霊を排する弓矢であった、とする私の考えは琉球弧の歴史ロマンとしてどうだろうか。船の設計図が下手であるとする松木氏のダメ押しに対して私はノロが指示し、また自らの作品「線刻画」であれば下手であっても納得できる。関係者の熱心な討論だが、シマンチュの関心事は古くから「舟下ろし谷」「船田」とよばれていたことから、大木で作られれるくり船からイカダ、小さなサバニなどである。大きな帆船を作っていたわけではないだろう。ゆるやかに歴史ロマンとして線刻画をとらえ。描いてみることだ。
三線愛好会 結
伊仙町産業祭
奄美大島、徳之島の青年教師 徳之島フィールドワーク
歌舞伎「牛若丸」公演を前に
子ども劇場の皆さんは来年、2月の徳之島文化会館で公演される「牛若丸」歌舞伎 前進座 に向けて事前学習をしています。この日はあいにくの雨天で雷、徳之島町の駅伝大会も中止に。その中で集まったお母さん、子どもたちに1時間20分ほど牛若丸が実在した人で、幼少から源義経として平安時代から平家を倒し源氏、鎌倉時代の武将であること。生い立ちから、自害するまで。そしてその以前から奄美・徳之島がカムィヤキ、ヤコウガイなどシェルロードとして東北まで金色堂の螺鈿細工などの交易があった。など歴史のロマンを語りました。最後に「何を学ぶのか」問題提起と。ルビンの杯などを例に視点を変えると歴史が変わることも。こどもたちからの質問もありました。