トクノシマトゲネズミ 輪禍 時さん児童に紹介

トクノシマトゲネズミ 徳之島固有種 上二枚は参考写真

本日,西犬田布の時さんが始業式の最中学校を訪れました。

手に「トクノシマトゲネズミ」輪禍にあった死骸を持参。

「天然記念物,希少動物なので紹介させてください。」

本日 伊仙町と徳之島町の町境 白井で輪禍に遭ったトクノシマトゲネズミを発見した。胴体は約30cm,しっぽの長さまで約50cm。

しっぽの先が白で特徴からトクノシマトゲネズミに間違いないでしょう。

実はわたしも今朝(7時45分頃),その道を通勤途中で発見したのですが,

車を止めませんでした。丁度 道の中央で輪禍に遭ったのでしょう。

「大きい!」子どもたちもびっくり。

こんな身近にいたんですね。他二人ほど職員が目撃していました。昨夜輪禍にあっったんですね。私たちの目に触れることはできましたが可哀想ですね。

輪禍に遭った「トクノシマトゲネズミ」

「トクノシマの固有種です。」

ドローンが犬田布上空を飛んだ!

7月20日1学期 終業式の日 大山先生が趣味のドローンを飛ばしてくれました。学校から出発2~3km飛行して、スイッチ一つで戻ってくるのです。子供たちも感動!「すごい!初めて見た!」

これからいろんな場所、目的で利用されるドローン!

見上げる・・・見えなくなっちゃった・・・。

すごいよね!戻ってくるんだから、ほしいね。

県民体育大会卓球代表選手になりました!

7月15、16日県民体育大会の大島地区大会で団体戦でも負け知らず。個人戦ではなんと三年ぶりに60代 優勝!県大会出場です。これも、川畑眼科さんのおかげ、でしょうか。「目がさらによくなってボールの見え方が違った?」。奄美地方は暑い日が続きます。雨がほしいです。

三線愛好会 結 発表会&懇親会

22日我が「徳之島三線愛好会 結」のミニ発表会と懇親会がありました。約2時間半はこれまで練習した曲目を交互に発表。子守歌から沖縄民謡の数々、徳之島の民謡、歌って踊っての懇親会。終盤の1時間はカラオケタイム。さぁー、28日は徳洲会病院高齢者の誕生会ボランティア、来月26日は徳之島ユネスコ総会での演奏。夢、目標に向かって練習です。

歴史フィールドワーク

21日犬田布小学校職員研修は徳之島の歴史、自然フィールドワーク。旧奉安殿、戸森の線刻画、三京のオキナワウラジロガシ、アマミノクロウサギ観察、大和城山(奄美守備隊指令所跡)。戦跡、樹齢300年のオキナワウラジロガシ。汗を流し、足で学ぶ半日。夜はオーシャンリゾートホテルビアガーデンで島唄三味線ライブ、歌って踊りました。

 

 

 

薩摩富士 白雲の帽子ですね

早朝6時、

薩摩富士と呼ばれる所以でしょう。白雲が雪のように桜島の帽子になっています。日々その姿を変える桜島です。鹿児島の人々がなんとなく見ている桜島。毎日何か語り掛けているようです。

今朝は「おめでとう、退院。目は大事にね!」と。

お隣に県庁の庁舎、「今日も頑張って!県民の声 安心安全な鹿児島県たのみます!」

蒸気屋の看板も「県内外の観光客に大好評、頑張って!」

ガソリンスタンド「円安で高いけど、給料上がれば問題ない。大企業国民に還元を!」

川畑眼科医院「光をありがとう!世の中を照らす大事業!頑張って」

今朝の桜島の声、でした。(今日退院します。感謝、シェシェ、おぼらだれん(徳之島)、ミヘディロ(沖永良部)トートガナシ(与論島)、ニヘディービル(沖縄)・・・ありがとうございました。)

感謝!川畑眼科医院の皆様、家族、職場・・・!

明日30日、退院。孫に会いに行きました。

この部屋から見る夕日は格別に輝いていた。県庁、遠くに桜島。今回、白内障になって、加齢によるものだと認識し、初期老人65歳を自覚することになった。これからは、健康で孫の成長を見守り地域に貢献し、職場にも感謝感謝の気持ちでいこうと決意した。院長他看護師さんスタッフの頑張りを目の当たりにして「時間」「職務」に対する真剣度を学んだ。川畑眼科医院の皆さんありがとうございました。患者第一の姿勢うれしかったです。歯に衣を着せぬストレートな院長先生。どなたかがこのブログを見て伝えていただければ幸いです。徳之島に「川畑眼科医院友の会」ができたらいいですね。うっすらとした世の中が、断然明るくなり、気持ちも1.5倍は爽やかになりました。ありがとうございました。良き人生の思い出となりました。川畑眼科医院の益々のご活躍発展を祈念申し上げます。

 

今日は何の日?輸送船富山丸撃沈1944(昭和19)年6月29日 徳之島)

1944年6月29日終戦の1年前、 沖縄戦に向かう輸送船富山丸には4000名の兵隊と燃料(1500本のドラム缶)を積んでいた。73年前の早朝7時30分ごろ徳之島亀徳沖、約3Kmで悲劇は起きた。地元で徴用された人々が浅間の陸軍飛行場へ向かう時間帯、亀徳沖を南下する日本海軍の船団。彼らは「鬼畜米英に我が日本海軍が鉄槌を下すのだ!」と眺めていた。そのとき、大爆発で輸送船富山丸が黒煙に覆われ船団はバラバラになった。風は海から島にむかって吹いていた。重装備をした船底の兵は海底へデッキへ飛び出した兵の多くが島を目指して泳いだ。しかし、次々とドラム缶のガソリンンへ引火誘発され、兵隊の多くが火の海で戦死。3704柱と記されている。(参考までに数年前 沖縄 平和の礎に富山丸の戦死者も刻印)

「この道はいつか来た道」、共謀罪によって戦争反対、平和を訴える人々は顔写真、録音という監視によってあとずさりしないだろうか。戦前回帰は始まっていると感じる。戦争を知らない私が感じる。日本は国際平和、協力の名の下で武器の後方支援、武器輸出という商売もできる。自衛隊(国家公務員選挙中立,公選法上の地位利用による選挙運動禁止規定の適用対象)を選挙に利用する防衛大臣、女生とは思えない。与謝野晶子「君死にたまうことなかれ」であってほしい。

7時28分今から73年前。黙祷~。(川畑眼科入院中~明日退院です!)

南極の氷を母校(徳之島伊仙町犬田布小学校)の後輩へ

2017年5月31日 海上自衛隊員 佐藤利樹さんが母校の児童へ「南極の氷」を届けてくれた。

彼は昭和57年生まれ 鹿児島県大島郡伊仙町立犬田布(いぬたぶ)小学校の卒業生です。耳を当てると、「・・・・」氷の中に閉じ込められていた「ん百年前」の南極の空気が解けて空気中に放出される音が聞こえました。人それぞれ夢がある。その夢を果たしたら、誰かに繋いでいく・・・。「南極にどうしたらいけますか?」の質問に。「研究者になること、学校の教員も希望者は行けるかも、海上自衛隊員になること」。(写真は3年生、全児童に触ってもらった)。お土産として氷のブロックを準備する佐藤さんの思いが、伝わってきますね。感動を与える、もらう。いいですね!