寒空の下,時々小雨模様の昨夜 「月下美人」鑑賞会でした。
ダン先生他友人が集まりました。(初めは半袖のダン先生でしたが上着を着ました)「ダン先生,月下美人って英語でなんと呼ぶのですか?」
「クイーン オフ ザ ナイト!」えっ! 「夜の女王」ですか!早速調べてもらいました。彼も初めて見たそうです。11月20日気候は徳之島に冬将軍が訪れようとする時,「夏」からすぐ,「冬」の徳之島です。台風が2度接近,桜やアジサイが咲いたり,ちょっとした気候変動に植物も戸惑っています。
月下美人が咲きました。?つぼみも5つあります。冬到来の前に今年最後の月下ショーです。
9月28日,町田進さんから「西郷どん,取材で犬田布騒動について話してほしい」との依頼があり,取材の方々と語った。内容は多岐にわたり西郷隆盛の幕末の英雄としての美談にとどまらず,不可思議な入水と蘇生のこと。久光の怒りで沖永良部に渡り,牢屋に入ったが世話をした土持政照も薩摩役人の島妻の子,その妻は大久保利通の父のこれまた島妻の子。幕府の目から隠し,優遇されたのではないか。西郷はその間,船で徳之島に立ち寄ることもあり仲為が土産を渡そうとしたこと(仲為日記),黒糖の自由売買嘆願で投獄され,35人が西南戦争に連れて行かれ(名目は志願)田原坂での奄美31人の犠牲者。明治維新以後の大島商社設立で鹿児島士族救済のため黒糖地獄をその後も招いたこと。菊次郎,菊草 子どもを取り上げられた愛加那の悲しみ(一方,子どもの出世を願い喜んだという美談)。故原口虎雄さんは,独善的な西郷隆盛の神格化を懸念。歴史はいろんな方向,立ち位置を変えて見ることが大切です。
疎開船武州丸の73回忌 慰霊祭が今日、夕方 なごみの岬 「武州丸慰霊塔」であった。武州丸と平和を考える会 12回(単独主催7年目)。主宰者(幸多)挨拶の後,澤津橋務氏(92)の電話メッセージを紹介。
いきゅんDOの渡辺さんの挨拶。井之川中学校7人の生徒は、武州丸死者の無念さ「犠牲者には1歳にも満たない5人の赤ちゃん,から小中学生77名。戦争から逃がすために疎開船に乗せたのに,家族が離ればなれになっても,この子の命さえ助かればいい,と願って乗せたのに・・・。どんな理由があろうとも戦争をしてはならない真実を,多くの人に伝えます。」と平和を守る決意、暗闇が安心な場所(防空壕)であった時代に戻ってはならないことをアピールしました。
1944年10月10日,那覇大空襲,南西諸島,徳之島が初空襲の日。
米田正英さんの家族5名は疎開途中,加計呂麻島沖で米軍戦闘機グラマンの攻撃にあいました。妹二人が即死,「このような戦争がないように願い,妹たちを供養していきます。」と,言葉少なに語りました。
参加者の声は「今がまさに戦争前になってきたね。」「昔の防空壕は空襲警報解除で外に出られたが、核戦争のシェルターはそうはいかない。」「国民を戦争に向かわせるのが今の政治だね・・・」「中国,次は北朝鮮,次々に敵国を作り,同盟国が包囲する」」「窮鼠猫をかむ,追い詰めたら戦時中の日本,一億玉砕!ではすまないね。核戦争,死なばもろともに・・・日本が狙われるのは必至だね。怖いね」「国民がしっかりしなくてはね」「未来はこどもたちのものだから平和を維持したいね」など等でした。