亀津(近隣)公園の桜植樹から20周年!あすなろ会

2月4日 13時から。あすなろ会の桜手入れと花見。平成10年2月11日に亀津中区の有志で植樹した100本の桜は毎年,1年も欠かすこと無く手入れをし,5~6年後から花見を始めました。3年後の平成13年2月に未来志向,発展的に名前を「あすなろ会」と改称,亀津4区に広げました。その後も毎年植樹は増えて150本ほどの桜公園となりました。オーナー制であったため個人の名札があり,子々孫々へと思いが伝わっていくことでしょう。

2月4日(日)Ⅰ時間半の手入れを終え,花見開始。小雨のため場所を休憩小屋に移し,ブルーシートを風よけとして5時まで太鼓三味線,踊り。「桜木は 風雨に耐えて 花開く 育てし人の 熱き思いに」

世界自然遺産登録直前!フィールドワーク2月3日

徳之島労金と労福協主催の徳之島歴史自然探訪が2月3日(土)あった。案内人として9時30分出発。薩摩藩政時代の亀津~井之川。「江戸時代の人と握手し,記念撮影した人は?」「実は,私です。泉 重千代翁は慶応元年,江戸時代に生まれています。その写真が,これです!」

鍾乳洞に入った。シマンチュや外国から「島の方言研究」で来た人,教員他異職種の交流もあった。昼食の提供,ビンゴーゲームまで感謝,感謝のバスツアーでした。旧奉安殿,慰霊碑など戦跡から平和について学んだ。守り伝える徳之島の歴史文化自然,これからもいろんな団体がバスツアーを精力的に実施できたらいいですね。

北中学校&犬田布小学校ましゅ屋&南三島文化協会研修会

1/30北中学校「地域を知る」(総合的な学習の時間)の講師として依頼され終日島内の歴史,自然探訪を案内した。先ず,足下の戦時中陸軍飛行場,特攻隊慰霊碑では,17歳から若い兵士が参拝し,沖縄へ飛び立ったであろう肉弾三勇士の碑や忠魂碑について話した。防空壕跡「戦時中はこの暗闇が安心安全な場所でした。昼間は隠れ,島の人は夜の月明かりで田植えや農作業をした。犬田布騒動,メランジ,奉安殿。カムィヤキと日本の歴史。鍾乳洞では大ウナギ(鍾乳洞の主?)にビックリしました。

2/1犬田布小学校の5年生は「ましゅ屋」(水本さん)で塩作りの実習。塩水を運び燃料の廃材を準備,出来るまでを学んだ。

昼は南三島の文化協会研修会,夜は三島の郷土芸能披露,徳之島地元から高齢者カラオケの発表や田植え踊り,伊仙の勇壮な棒踊りが披露され喝采を浴びた。

卓球ダブルス大会犬田布小学校優勝!みほちゃん帰省 かわいい赤ちゃん

伊仙小学校に5年勤務、素敵な旦那さまとのめぐり合いもあって、かわいい「ひなたちゃん」と帰省。うれしいですねね。

町内小学校・教育委員会 9チームによる3ブロックの試合の後、各ブロックでの順位に分かれての再リーグ戦の結果。

1位チームに犬田布小学校I(アイ)チームと伊仙小学校の2チームが1位決定リーグ戦。その結果見事接戦の末犬田布小学校が優勝!ラージボールという大き目のスピードも出ない卓球であるが和やかに親睦を深めた大会でした。

日本復帰の父 泉芳朗勤務 面縄小学校

左 神之嶺小学校写真と沿革誌

昨日,面縄小学校を訪ねる。「校長先生,泉芳朗先生が勤務された沿革誌,日誌等はないものでしょうか?」「それが,全く痕跡が無いんですよ。歴代の教職員名はここに書き出してあります。」と,ホワイトボードを指さす。「泉芳朗は当時ペンネームで,本名は泉 敏登,いずみとしのり」って言うんですが。探してみると「あった!」大正15(昭和元年)年にありました。「良かったです,今まで知りませんでした。」と校長先生も大喜び。このように復帰前の年まで泉芳朗はペンネームであったことを多くの人は知りません。前徳之島高校の校歌も泉 敏登作詞でした。でもこの人が泉芳朗先生と知っている人はいませんでした。(十数年前高校の教員には伝えた)。神之嶺小学校の校長室にある「泉 敏登校長」も数度訪ねて「泉芳朗」の本名と語りました。もちろん,復帰の年は戸籍を改名して「泉芳朗」でした。

新春井之川岳登山!霰(あられ)がぎっしり!

犬田布小学校職員は昨日13日、井之川登山を決行した。最近の寒波と当日も朝は氷雨で躊躇した。曇り空であったが世界自然遺産として登録される記念すべき年であることの意義、夜の新年会のためにも「登りましょう!」

14時大原の登山入り口。10種以上の植物観察をしながら、雨ですべる登山道をなごやかにスタートした。センリョウ、マンリョウ、ケハダルリミノキ、ヤブツバキ、サクラツツジ、フウトウカズラなどなど。途中二か所のくぼみに霰(アラレ)がぎっしり(写真は14時22分撮影)。「昨夜はすごく寒かったんだね!」

頂上到着、1時間30分のペース。おやつを食べのどを潤して再び下山。帰りの表情は明るい。「おいしいビールだね!」

夜はすべった話や姿が見えず心配して大声で呼んだこと、来年の登山に向けて体力づくりをと。

世界自然遺産候補地になって島民の登山心得が良くなりトクノシマエビネ発掘やセンリョウ、マンリョウがきれいに実をつけている。徳之島の最高峰井之川岳(645m)の頂上から見えるのは未来への限りない可能性だ、などと。

我が家の年末年始

12月27日は長男に男の孫が誕生、6月5日次男に女児と二人の孫を見ました。年末熊本から娘と孫が帰ってきて、島の孫6か月もおおはしゃぎ。あっという間の休日。淋しさが残るものです。熊本地震以来、一年半の帰省に安堵と嬉しさ。そして帰る孫に涙するじぃじ、ばぁばでした。海岸でシーグラスや貝殻採集。「春休みにまた来るね!」。熊本から元気よく声が届きました。

農民一揆「母間騒動」いきゅんDO 

1816年 米の不当な見積もりを訴え,投獄された掟役「喜久山」救出に母間村の住民630余名が代官 所を襲撃した。封建の極北といわれた薩摩藩では一番大きい一揆だった。あれから200年,「民衆の声は時代を超えて」犬田布騒動に続いて前田長英原作の脚本を作った。その短編を朗読クラブ「いきゅんDO」が演出。

私も三味線「徳之島節」を演奏した。熱演に「涙が出た」という人の声もありました。未来志向的に時代を蘇らせることができて良かったです。

 

東京から今年最後の三味線練習にやってきました!

昨夜は三線愛好会結の本年最後の練習。ラインで繋がっている東京のTさんは奄美経由で来島練習に参加して,今日の船で奄美大島経由~東京へ帰ります。行動派の彼女にはびっくりですがうれしいことですね。シマの三味線を片手に昨日は亀津の海辺で,海に向かって演奏していると,シマのお年寄りが寄ってきて「三味線を借してごらん」と島唄を聞かしてくれたそうです。三味線と海,老人~素敵な出会いですね。今朝も亀津の海辺で演奏していることでしょうね。