盆踊り、二日目は雨風のため公民館で開催!

14日

14日15日の盆踊りに向けて。準備から、本番の盆踊りまで多くの区民が参加協力してくれました。やぐらの組み立ては木材のためペンキの色でわかった。来年は5本新規で制作したい。浴衣姿で女性連が多く参加し、帰省客との親交を深めることもできた。後片付けも台風接近のため早め早めに実施し、手際よく整理できました。青壮年団もかき氷、焼き鳥で「おもてなし」しました。

どんどん祭パレード

どんどん祭パレードは台風のため12日4時スタートだった。3時までに公民館に集合、3時15分に出発、30分に集合開会式。花徳チームが優勝でした。北区は子ども会から女性連、高齢者クラブまで幅広く参加し「団結賞」がほしいところでしたが入賞はなし。「参加することに意義あり」

こども神輿は大変きつい面もあるので、交代が必要。また、神輿が小さいのでもう一回り大きいのがあれば中学生も担げるのではないか。小・中・・・二台の神輿もいいですね。女性連の神輿も。お疲れさまでした!。

北区合同ラジオ体操会130余名参加、ホールインワン賞に喜々!

初の試みで北区合同ラジオ体操会を開催した。区民ふれあいの場としての行事に高齢者クラブ、保護者多くの方々が参加した。親子、じいちゃんと孫がホールインワンを狙う姿は微笑ましく一時間を大いに楽しんだ。口々に「楽しかった、これからもあればいいね!」。地域の相互扶助など「結」の集落づくりに一歩前進できたと思う。「猛暑の夏、ラジオ体操をしながら健康的に過ごしてください。」と開会の挨拶をした。

神之嶺小学校職員研修フィールドワーク伊仙町

神之嶺小学校の職員研修フィールドワーク案内を実施。鍾乳洞では半世紀前の観光マイナス遺産の姿と復活する鍾乳石を観察した。カムィヤキ遺跡では中世の役割について語った。奉安殿が戦争へつながる軍国主義天皇主権の戦前戦中の役割、シンボルであったこと。みやどばる海岸では塩田の歴史とメランジュについて学習。台風跡の塩の結晶と味、ハート型岩にも感激。「来年は天城町がたのしみです!」の声に先生方の研修への熱意と思いを感じました。

ボランティア作業にこども会52名から高齢者まで147名参加

こども会から高齢者クラブまでが参加したボランティア作業。子ども会育成会の連絡も万全で多くの参加がありました。(子ども会育成会52名)ふれあい農園での除草作業には青年部も参加、トラック2台でで除草した草を運びました。頼りになります。なお、満久里住宅近辺では70名を含めて一般95名の作業を行いました。(総勢147名)

こどもたちに体験を、というより親も初めての体験者がいます。今日の草取りでは芋(品種が異なり葉っぱも変わっている)の葉を、草と間違えるハプニングもありました。

昨夜は6時から田植え歌踊り、そして正月歌の練習もありました。まずは高齢者クラブから初めて青壮年、子供たちへ。軌道に乗りつつある郷土芸能保存会です。苗も田畑さんが作ってくれました。継承発展の姿勢で、「のうしゅうぶらく(なわしろ)」と呼ばれ、稲作が盛んであった時代の芸能を蘇らせましょう。

 

金見崎でメランジュ研修

7月14日土曜日13時~14時。徳之島ユネスコとして、メランジュ観察会を行った。犬田布のメランジュは鹿児島県の指定天然記念物となって有名だが、徳之島の至る所にメランジュがあることを改めて知った。

一億年の時を経て徳之島が存在するが、4~5000mの海溝にあったとき、海洋プレート(フィリピンプレート)の沈み込みや地滑り、地震などによって形成された堆積物が固形化したもの。フランス語でメレンゲ混合物の意味。徳之島のメランジュは関東から沖縄まで分布する四万十層群に属する。

赤十字奉仕団研修に参加!男性は3~4名でした。

7月13日徳之島町福祉会館。平日実施のため参加者は専業主婦と高齢者、女性連が主なメンバーで北区からも10余名が参加した。町長あいさつでも西日本豪雨災害がありました。簡単なご飯の炊き方を講習し、三角巾の使い方など実践できるノウハウを学びました。男性がもっと参加すべきだと思いました。

県民大会大島地区卓球大会、男子団体3位。個人3名県大会へ出場

7月7~8日、県民大会大島地区大会が天城町天城小学校であった。台風8号接近のため与論・沖永良部島チームが不参加

。結果は男子団体準決勝で優勝した奄美市に敗れて3位。個人戦は男子60代幸多準優勝、女子50代壽優勝、関屋準優勝で県大会出場となりました。暑い夏、体育館で9月15,16日の県大会へ向けてまた練習再開です。

「奄美こども環境調査隊指導」に孫の羚愛(れいあ)が任命される!

奄美の自然遺産(環境文化含む)が大人を超えて未来へ繋ぐ営みを子供たちがやろうとしている。企画する大人の思いがひしひしと伝わってくる。東日本大震災「花は咲く」の歌詞にある「私は何を残しただろう」。その場に今、孫が立とうとしている。エールを送りたい。平成17年から始めた私のフィールドワーク。誰から進められたのでもなく、仲間を作りやってきた。毎年学校からの依頼もある。ほぞぼそとやっている。今年からは徳之島ユネスコの理事、会員として出前授業も行っている。山小学校、伊仙小学校、夏には神之嶺小学校、伊仙町養護教諭部会の依頼もあっフィールドワークを行う。半世紀私の見た、学んだ、歩いた思いを込めての「遊歩記」となる。親から、子へ、そして孫へその思いがリレーされる。感慨無量である。さあ!暑い夏に熱い思いを込めて向かっていこう!。