みんなで考える徳之島のゴミ処理 シンポジウム

ゴミ問題を語る会 5月12日

「集落内にゴミ箱がないので、ごみを見て見ぬふりするときは心が痛む。 マナーは改善されている。設置も必要なのでは、人を信じたい。」

ゴミ(空き缶等)から見える  エゴイズム 30分のゴミ拾いから

健康に留意する人が 環境に配慮しない 糖質0缶ビール「シャキッと元気!」REAL GOLD

「残していますが、違反ゴミですか?」 「空き缶等が5~6本以上入っています。この地区では初めてです。名前もありませんね」 「空き缶を出しますから、待ってください」と分別して取り出した。中から小学生子どもの 名前入りテスト(100点等)、読書数調査も。違反ゴミである。 名前が記入されてなく、ごみの中に子どもの実名テスト。 ごみを置いて行かれると困るので分別。 子どもの名前から(小学校へ照会)、この地域(班)のゴミでないこと。 違反ゴミ(無記名)は大変恥ずかしいことです。大人の責任ある行動が求められます。

「思いがけない「残されたゴミ」との遭遇。 ゴミは初めから「ゴミ」じゃなかったはずです・・ 最期まで感謝の気持ちを持ち処理したいものです。」

生ごみとダイオキシン・焼却飛灰測定値が国の基準値を過去5年間上回る  3ng(ナノグラム)が3,5~9,2ng !4月20日/5月14日南海日日  西目手久住民の憤りを共有し、関わっていきたい。

生ごみはたい肥に(農家は土に埋める)、生ごみ処理機(補助金)よりもたい肥センターと連動してサトウキビのバカスと生ごみを混ぜて堆肥にできないか。

北区の取り組み、課題は 1 ごみを出さない。無駄のない消費者生活追及。 2 子どもたちの未来に責任を持つ、環境教育(ごみ問題)の研修会実施。 3 グループで当番を決めごみの監視(名前、違反ゴミの持ち込み) 4 生ごみを堆肥にする~畑のある人は埋める。 生ごみ処理機の購入も考え積極的な生ごみの活用。 など等です。 ゴミは負の遺産、子どもたちの未来に 「美しい自然」と「結」の心を伝えたい 。地域では自己中心的な考えを改め、コミュニティ活動を! 家庭ではこどもたちの声を聴き、環境教育を。ポイ捨てを戒める家族愛を! 学校では大人に、「物申す」子どもの人権教育推進を!

 

 

「令和」記念 ふれあいグラウンドゴルフ大会

新年号「令和」記念 ふれあいグラウンドゴルフ大会を開催。昨年からふれあい、世代間の交流を促進している。48名で6名編成の8チームがゲームを楽しんだ。

小学生の福ツバサさんがホールインワン。総合の部では

1位 仲 利秋 2位 森 一由 3位 溝口光彦  他ホールインワンには亀津小学校長 狩集淳先生や松山洋二郎、保久 幸仁など9名でした。

北区自治会総会

パワーポイントで経過報告をしてみたところ、「これまで見たことがない。わかりやすい」など好評だった。宝くじコミュニティ事業250万円相当ゲットの報告。青年部から高齢者クラブまで大勢の方々が参加して熱心な報告と意見交換ができた。

一期一会、島を離れる

三味線愛好会結で出会った3人が島を離れた。

島歌からポップスを練習して徳之島町文化祭、民謡大会、慰問演奏、等 など。s先生は学校で三味線で人気者となり学級でもうぎ節ワイド節。結婚して子供も生まれた。夏休み五周年記念には帰ってこいよ、とエールを送りたい。

ありがとう??✨

 

阿権に新スポット、50年人が住まないとガジュマル屋敷

ガジュマルに覆われた屋敷。本来人が住めば石垣にガジュマルを這わせることはしない。

なぜなら、ガジュマルやアコウの木は石垣を覆い次に太くなって石垣そのものを破壊することをシマンチュなら知っている。屋敷にも食い込み床下にも侵入する。50年で植えた場所が良ければ巨大化して300年とも呼ばれるガジュマルになる。そして幹が隠れ、気根が発達して周囲に数えきれないほどの柱となって巨大に見える。だからある程度大きくなると自衛のため最近では除草剤でわざと枯らす人もいる。御覧のようにきれいに積んだ石垣や他の木を気根が覆いつくす。他人の目ではガジュマルの生命力に感嘆の声を発するが、居住者がいたとしたらありえないことでしょうね。

あと2,30年で気根が地面に届きさらなるガジュマル屋敷になる。観光客が根を踏み、気根に手を伸ばして触れば現状のままである。

ケンムン伝説などを語るには涼しい、観光名所となるはず。新しいスポットが整備されようとしている。

スタディツアー奄美最古の土器、大和城山、銅山跡

春分の日、スタディツアー。奄美最古の土器が発見された下原遺跡を尋ねた。四層から13000年前の土器が出土。これから5,6と土器が出土すれば23000,24000年の徳之島の人類が見えてくる。爪形紋土器7000千年前の土器がありその後の土器が次々に出土。楽しみである。十年来の友人、具志堅さんの詳しい、熱のこもった説明に引き込まれた。大和城山、松原銅山跡では殆どの人がはじめて知ったとのこと。戦時中の指令所ほか施設の説明。銅山跡では発見から大正デモクラシー、ストライキのことなどエピソードを伝えた。アマミノクロウサギ観察小屋や生態の事をかたり、また帰りにはやまくびり線の今後の通行規制の模様を見た。

徳之島ユネスコのスタディツアーは今後もアクティブラーニングの姿勢で、しまんちゅの学びに関わっていきます。