大瀬川河川の清掃・草刈り奉仕作業を北区・中区合同実施

本日19日、早朝から8時30分まで北区中区合同の「みんなの水辺サポート」大瀬川清掃作業を実施。

子ども会から高齢者クラブまで60余名の参加者でした。草刈り機も13台稼働、子どもたちは空き缶や廃車自転車や壊れた傘などを拾いました。終了時に集まり代表して「みんなの水辺サポートに登録しました。大瀬川の美化、きれいな河川を維持し、そして大瀬川の反乱を防止するためにも草が生えるために土砂が堆積し底が浅くなる危険性を除去。同時に県へ寄り州の土砂撤去要望」などを訴え、確認し合いました。なお終了時には子どもたちもすでに解散しており記念撮影は一部の大人だけでした。(すみません)。

大瀬川寄り州、雑木など除去の早期実施を!

大瀬川沿いは土砂が堆積し、寄り州をなし鹿児島の8・6水害などを想定すると極めて危険で河川沿いの住民にとっては安心とはいえない。毎年梅雨時期、台風・満潮時の不安は絶えない。

鹿児島県は第4大瀬橋付近から河口まで上流からの抜本的な除去予算は組んでいない。「予算の範囲内で、できる限り」。河川管理者はあくまでも「予算範囲内」である。上流土砂の排除は厳しいだろう。「今回要望するのは、担当する皆さんが地元住民の声として県への要請を後押しする意味でもある。」と河川管理担当課へ伝えた。

新年明けましておめでとうございます。

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新年あけましておめでとうございます。

年末は24日から31日まで初めて子どもたちの「招待」で湯布院温泉旅行でした。湯布院岳の頂上付近にあり露天風呂で癒し寒さも忘れ楽しい家族旅行でした。年始会のため大みそかに帰ってきました。

北区有志19人が参加 君が代・1月1日の歌、島唄「正月唄」を歌って新年を寿ぎました。年女(73歳)は上原トヨ子さんです。いつも女性連・高齢者クラブで活躍しています。おめでとうございます。

皆様のご健勝ご多幸をお祈りいたします。いつもブログを見てもらいありがとうございます。島を発信していきます。世界自然遺産登録も間近です。「住んでいるところ、そこがあなたのふるさとです。」

二度とない人生、今日という日を「一生」と思って、楽しく有意義に過ごしていきます。一期一会。

幼稚園生活発表会・亀津中学校持久走大会

12月14日(第二土曜日)亀津小学校付属幼稚園の生活発表会に来賓として出席した。集団生活を通して学んだ成果を音楽、劇~を通して発表した。幼い子らが懸命に暗記し、全体の流れをつかんで演じるミュージカル風の演出。「私の宝物」個性豊かな発表でした。先生方のシナリオのすばらしさにも感動しました。

亀津中学校のロードレース大会は以前の県道から大原線をUターン3kmだそうです。

\女子が最初にスタートし、最終ランナーがゴールイン(その前にスタート合図~後2~3分待ってほしかった)。次いで男子坂道を駆け上がりUターンする。

思い出します亀津中在職中に9年のうち7回チャレンジしました。平成1年から9年。当時は県道です。学校から南区の現在のコンビニ、16m通り、亀津大橋前を徳之島高校前を通って学校まで5km。苦しくも楽しい時代でした。

 

 

芋堀の事前準備完了、明日から芋を掘り起こし開始・・・

12月13日金曜日、芋の花です。芋の葉を除去し、機械で堀り起こす準備でした。育成会も平日のため福岡さんと一緒にしました。明後日15日が楽しみです。子どもたちとのふれあい農園「芋堀大会」です。

ふれあい農園は区民が関わり、学んで実践に移すことを「体験」する「場」です。理解や知識のみでなく「より深くかかわる営み」が大事だと思っています。

農地保全活動~世界自然遺産は島民の自覚から

農地保全活動の除草作業を耕地課と連携して実施した。

あいにくの雨天だったが200mほど実施。カーブなど見通しもよくなった。

だが、空き缶や弁当などポイ捨ての多いこと。世界自然遺産を島民がよく理解していない結果だろう。

上からいただいたものでなく、先人が守ってきた自然遺産です。世界に誇れる「世界が承認」した遺産です。行政や一部のガイドの指定ではありません。環境は大事に子々孫々連綿とつながなくてはなりません。「これから」の思いを強くしたいものです。空き缶ゴミは過去の物として、未来志向できれいなふるさとを守りましょう。

ゆめ・ときめき・ねんりん芸能大会

11月24日 ゆめ・ときめき・ねんりん芸能大会

「誇れる徳之島の歴史」と題して講演させていただきました。人物は特に横綱朝潮の動画を観てもらいました。勝った瞬間に拍手が起こるなど蘇る巨人「朝潮」はまさに誇れるシマンチュでした。

亀澤さんのフラ、支那の夜 素敵な踊り(ダンス)でした。

先史、あまんゆ、なはゆ、やまとゆ、アメリカゆ、を短時間で語りました。薩摩と奄美、光と陰など西郷を通して理解してもらうのにはじっくりと伝えるべきでしたが短時間故、厳しかった。