命のタスキリレー(4)

私たちはこの熱意を決して忘れない!住民運動が政府の思惑をはねのけた命のリレーを。

 読売新聞 7月20日 朝刊 
記事の概要
複数の政府関係者によれば、沖縄の基地負担軽減策として日本政府が検討してきた米海兵隊の訓練を徳之島(鹿児島県)に移転する案について、政府は事実上断念する方針を固めた。移転に反対する地元の反発が強いことや、「使用される徳之島空港の滑走路整備費などが総額1000億円」(政府筋)に達する見込みになったためだ。訓練は年に数回しか行われない見通しで、政府内では「国家財政が厳しい中、予算が巨額すぎる」(防衛省筋)との意見が強まった。
このため政府は、2011年度予算案には徳之島への訓練移転のための調査費を計上せず、事実上、白紙に戻す方針を決めた。
徳之島は5月の日米協議で日本政府が唯一、訓練移転策として具体的地名の明記を米側に主張したものだ。その断念は、民主党政権に対する沖縄の信頼感のさらなる低下につながりかねない。
今後の普天間移設先協議は一段と厳しいものになりそうだ。

コメント「最低でも県外」という鳩山前首相の言葉から、思いつきの様に徳之島案が浮上してきた。
そこに基地利権で大もうけしたい人の欲がからみ、軍事問題など関係なく経済振興策などのアメが語られた。
それを知った島民の反対運動が一気に高まって基地建設は潰された。
移転案が潰されてみれば、年に数回の訓練に1000億円の滑走路改修費などが必要だからという。
軍事には不思議に人を惑わすものが含まれている。特に兵器や予算にそれが多い。あまりにも大きな威力や膨大な金額に普通の常識が狂ってしまうのだ。それは権力と似ている。1000円の定食が高いと思う同じ心が、一台10億円の戦車を手頃の値段かと考えたり、1発1千万円のミサイルが演習で外れても何も感じない感覚である。

米軍基地移設反対 命のタスキリレー 1 (写真の無断転用禁止)

あれから10年、基地移設問題は辺野古に移ったが私たち徳之島を

「徳之島は兄弟島(キョウデージマ)」と徳之島基地移設に反対した沖縄の人々に私たちはどう向き合えば良いのだろうか。

中国を脅威とし、自衛隊の誘致と軍備拡張、増強する政府。ミサイル基地「奄美」大島。

2010年8月7日 夕方4時   伊仙町義名山公園をスタート。高齢者から子ども達へ。闘牛も参加、車いすの親子、夜がくれても命のタスキリレーは続く。

米軍基地移設反対闘争から10年

2010年1月27日、正午のニュースで「普天間飛行場の米軍基地移設 徳之島を候補地」として鳩山首相が5年以内をめどに、というニュースが流れた。

朝日新聞に報道された日だ。当日、午後から私は徳之島三町の人権同和教育研究会報告会に会長として出席だった。急遽、反対決議分を昼食も返上して書き上げ会の終了とともに教職員の参加者へ配布し「これまでも奄美は石油備蓄基地、核燃料再処理工場候補などと企業・政府の思惑をはねのけた。世界自然遺産を目指す島の自然と平和のために立ち上がろう。徳之島の薩摩藩政時代からの圧政に負けぬDNAは今もある!」と訴えた。更に即、その夜反対の集会を徳之島労働金庫2回会場を借りて実施。基地反対の(狼煙)のろしを挙げた。私は公務員の現職だがあえて、参加者の推薦で事務局長を受けた。会長は民間から椛山幸栄さん。早速、三町に及ぶネットワークづくりをはじめ、それまで徳之島の自然歴史のフィールドワークでつながっている仲間たちと反対の集会へ。革新政権として期待した「民主党」に裏切られ、当時野党の自民党の応援を得た。現在の東京都知事小池百合子さんも来島。登壇する際の女性議員がスカートか否かまで綿密に話し合い対処し、天城町BGグラウンドで開催。

その熱気を再度、明日から再発信していきたい。写真を添えて 乞うご期待!

 

76年を迎える9月25日慰霊の日 武州丸からのメッセージ

風化させてはいけない、2006年以来伝え続けてきた学童疎開船「武州丸」。ゼロ歳児から12歳までの学童77人の魂は今も海底で眠りにつけず、今の国際情勢を懸念・心配していることだろう。

一触即発とまではいかないが、未だに引きずる韓国・中国の太平洋戦争時の怨念。心を開いて8・6,8・9原子爆弾の悲劇を平和運動として展開する日本人。再び戦場に子どもを送るな!の思いがある。

遺族が高齢化して遺族会が解散する。原子爆弾の健康手帳を持つ人の平均年齢が83歳。

求められているのは遺族から聞き取りをして次世代へ繋ぐ若者たちの行動だ。

誰かがやればいい、ではないはず。聞いて知って、悲喜を共有し、伝える行動がほしい。「戦争を知らない子どもたち」が流行った頃、なぜかこの唄が遠い過去のことだと思っていた。しかし今もそれは同じで何かをしなければ、伝えなければ50年前の自分と変わらない。

「過去に目を閉ざすものは未来に対して盲目となる」ワイゼッカードイツ大統領の言葉が35年前と同じく私の耳に聞こえる。

「戦争と平和」子ども達は知りたがっている、「なぜ戦争は起きたの?ヒロシマ・ナダサキ、沖縄戦。徳之島では?」それを伝えるのは大人の責務。しなければ罪でさえある。

 

区民合同ラジオ体操100名超す参加者、作山キヨさん93才も!

8月2日 日曜日 朝6時30分 三密を避けながらの「第三回区民合同ラジオ体操」が亀津小学校尾校庭で開催された。

狩集校長、橋口教頭先生も参加し、子供達と区民のふれあいラジオ体操が賑やかに実施された。

「場」を作れば人は集まり、コミュニティ活動が実施される。やればできる、成らぬは人の為さぬなりけり・・・。「為せば何事む 成ゆる事やしが 為さぬ故からど成らぬ定め(てぃんさぐぬ花)」

ラジオ体操後、校庭をウオーキングし。密接を避けながらティッシュの箱(景品)を参加者全員が受け取った。この子たちの

 

夏休みラジオ体操を地域コミュニティ作りに

夏休みのラジオ体操が始まった。ラジオ体操参加へ、今の子どもや親。、地域のとらえ方はどうだろうか。子ども~「大人はいいな-、体操に行かなくて。僕たちも土曜、日曜日は休みにしよう。」と学校の地域話し合いで決定。教員は「子供達の自主性を尊重します」。保護者も「夏休みの朝寝をしない生活リズムのために」の認識。地域は「・・・・・」。

昭和50年当時、私は沖永良部の上城小学校に勤務。夏休みは、というと 朝はランニング~地域のおじい、おばあも参加。ラジオ体操後は縄跳びの音楽を流し、それぞれチャレンジ。その後キャッチボールやドッジボール。

地域とのふれあいがあり、地域がこどもたちを育てているという実感があった。冬は「カチカチ火の用心~」地域と一体の学校、社会教育は高校生までを取り込み青年団が元気だった。汗を流した。バレー、野球、駅伝、地域行事~飲んで激論を交わしたものだ。

和泊中学校勤務の8年間も地域の運動会から郷土芸能まで異年齢の人たちが繋がっていた。地域の大人がこどもたちを「叱った」というより「叱ることができた」地域環境だった。

今、恐れるのはかつてこのような経験をした大人が高齢化し、口を閉ざしていること。

コミュニケーション能力を高めよう!と研修しながら地域活動へ参加しない公務員(教員含む)。人生は二度と無い、ということを知るのはいつごろだろうか?。「生徒はいつまでも子どもじゃないよ、」と妻に諭されたのは確か亀津中学校勤務中42,3才の頃だった。部活動生徒への叱責や指導、上目目線のころかな。子どもを一人の人間として見つめる。

昔は~というより、今何を為すべきか?

考え、実践に移せたらと思う~だけじゃだめだね。ファイト!

 

 

沖縄からやってくる知人に不安の電話「どうしたらいい?」

今日、某高齢者から電話があった「沖縄から知人が来るらしい」「保健所へ電話すべき?」「怖いです!」

あなたならどうする?今日の話です。知人友人が帰省・来島するこれから真剣に考えたい。

ご存じの通り沖縄の米軍基地でのクラスター「独立記念日のパーティ」、「沖縄のタクシー運転手が米軍を乗せてコロナ感染」このような新聞記事から恐れを抱くのは当然です。

「保健所へ電話してもその人を家に拘束できないし、県外移動は国が許可していること。あとは知人が訪ねてくる際にマスクで対応すること。ソーシャルディスタンスで語ることですね。」

このように応えるのが精一杯でした。