台風一過

先ずは区民の皆さん、我が家の後片付けです。私も今朝七時から清掃。8時前には亀津小学校児童も校舎沿いの台風による木の葉っぱを集めてくれました。濡れた葉っぱは重く私も3袋出しました。公民館は桜の葉が全部(ヒカンザクラ5本)落ちました。おかげでゴミ収集車が早くて朝は4袋だけ乗せました。その後7袋桜の葉を公民館庭から前まで集め、汗びっしょりシャワーでした。

夕方女性連の皆さん.グリーンクラブの花の手入れに来て、小学校前の乾燥した葉っぱをきれいに清掃してくれました。女性連の皆さんの声かけ、良かったです。

できる人がやれるときに、無理をせずボランティア活動。これが基本です。区民の皆さんの協力共同の思いが大切です。

イエス ウイ キャン!そう、みんなでやれば大丈夫、やれます。  

 

超大型台風10号、北区自治会で避難所を亀津小学校に開設

自治会役員宛 ライン引用

「速報ニュース、」今朝総務課長と亀津小学校を避難所として開設の許可いただきました。なお発電機はありませんので土曜日の夜間停電が想定されますので照明器具を持参お願いします。土曜日のお昼後から受け入れの予定です。放送します。良かったです‼️

大瀬川の氾濫も風の向きが西となり無さそうです

お昼ごはんを永吉おむすびコロリンが無料提供、避難所は14時15分閉店。
空振りでも貴重な避難訓練で解散式行いました。

これまで経験したことのない超大型台風の襲来。風速75~80m。奄美から鹿児島地方、九州へ北上。

甚大な被害の無いように祈るばかりです。解散式では、亀津小狩集校長先生への感謝あらゆる場所を快適に過ごせるように解放してくれたこと。先ず感謝の事でした。使う前よりきれいにして、と大掃除しました。昨日の13時から避難所へ来た人は62名。「今回の避難所での24時間は大きな訓練でした。まず災害時に互いに声を掛け合う助け合いの気持ち、安否を気遣う心が培われました。災害時は自助・共助・公助です。そして永吉さんおむすびころりんの差し入れはとてもうれしく、女性連の区民を気遣う共助の思いを感じました。避難所開設準備をした青年部の皆さん、地域の原動力を見せてくれました。

数々の思いをテーブルを囲んで語らう事もできました。(マスクをして)。親子、乳飲み子、おばあちゃんの姿もありました。平常の平和を一蹴しそうな台風の襲来でしたが、得ることも大きかった。絆、和を感じました。大雨の中ずぶぬれで後片付けも心地よいものでした。「みんなの幸せ」が「自分の幸せ」、そんな思いを胸に家路をいそぐ区民の皆さんでした。今夜はぐっすりお休みください。

 

 

命のタスキリレー(4)

私たちはこの熱意を決して忘れない!住民運動が政府の思惑をはねのけた命のリレーを。

 読売新聞 7月20日 朝刊 
記事の概要
複数の政府関係者によれば、沖縄の基地負担軽減策として日本政府が検討してきた米海兵隊の訓練を徳之島(鹿児島県)に移転する案について、政府は事実上断念する方針を固めた。移転に反対する地元の反発が強いことや、「使用される徳之島空港の滑走路整備費などが総額1000億円」(政府筋)に達する見込みになったためだ。訓練は年に数回しか行われない見通しで、政府内では「国家財政が厳しい中、予算が巨額すぎる」(防衛省筋)との意見が強まった。
このため政府は、2011年度予算案には徳之島への訓練移転のための調査費を計上せず、事実上、白紙に戻す方針を決めた。
徳之島は5月の日米協議で日本政府が唯一、訓練移転策として具体的地名の明記を米側に主張したものだ。その断念は、民主党政権に対する沖縄の信頼感のさらなる低下につながりかねない。
今後の普天間移設先協議は一段と厳しいものになりそうだ。

コメント「最低でも県外」という鳩山前首相の言葉から、思いつきの様に徳之島案が浮上してきた。
そこに基地利権で大もうけしたい人の欲がからみ、軍事問題など関係なく経済振興策などのアメが語られた。
それを知った島民の反対運動が一気に高まって基地建設は潰された。
移転案が潰されてみれば、年に数回の訓練に1000億円の滑走路改修費などが必要だからという。
軍事には不思議に人を惑わすものが含まれている。特に兵器や予算にそれが多い。あまりにも大きな威力や膨大な金額に普通の常識が狂ってしまうのだ。それは権力と似ている。1000円の定食が高いと思う同じ心が、一台10億円の戦車を手頃の値段かと考えたり、1発1千万円のミサイルが演習で外れても何も感じない感覚である。

米軍基地移設反対 命のタスキリレー 1 (写真の無断転用禁止)

あれから10年、基地移設問題は辺野古に移ったが私たち徳之島を

「徳之島は兄弟島(キョウデージマ)」と徳之島基地移設に反対した沖縄の人々に私たちはどう向き合えば良いのだろうか。

中国を脅威とし、自衛隊の誘致と軍備拡張、増強する政府。ミサイル基地「奄美」大島。

2010年8月7日 夕方4時   伊仙町義名山公園をスタート。高齢者から子ども達へ。闘牛も参加、車いすの親子、夜がくれても命のタスキリレーは続く。

米軍基地移設反対闘争から10年

2010年1月27日、正午のニュースで「普天間飛行場の米軍基地移設 徳之島を候補地」として鳩山首相が5年以内をめどに、というニュースが流れた。

朝日新聞に報道された日だ。当日、午後から私は徳之島三町の人権同和教育研究会報告会に会長として出席だった。急遽、反対決議分を昼食も返上して書き上げ会の終了とともに教職員の参加者へ配布し「これまでも奄美は石油備蓄基地、核燃料再処理工場候補などと企業・政府の思惑をはねのけた。世界自然遺産を目指す島の自然と平和のために立ち上がろう。徳之島の薩摩藩政時代からの圧政に負けぬDNAは今もある!」と訴えた。更に即、その夜反対の集会を徳之島労働金庫2回会場を借りて実施。基地反対の(狼煙)のろしを挙げた。私は公務員の現職だがあえて、参加者の推薦で事務局長を受けた。会長は民間から椛山幸栄さん。早速、三町に及ぶネットワークづくりをはじめ、それまで徳之島の自然歴史のフィールドワークでつながっている仲間たちと反対の集会へ。革新政権として期待した「民主党」に裏切られ、当時野党の自民党の応援を得た。現在の東京都知事小池百合子さんも来島。登壇する際の女性議員がスカートか否かまで綿密に話し合い対処し、天城町BGグラウンドで開催。

その熱気を再度、明日から再発信していきたい。写真を添えて 乞うご期待!

 

76年を迎える9月25日慰霊の日 武州丸からのメッセージ

風化させてはいけない、2006年以来伝え続けてきた学童疎開船「武州丸」。ゼロ歳児から12歳までの学童77人の魂は今も海底で眠りにつけず、今の国際情勢を懸念・心配していることだろう。

一触即発とまではいかないが、未だに引きずる韓国・中国の太平洋戦争時の怨念。心を開いて8・6,8・9原子爆弾の悲劇を平和運動として展開する日本人。再び戦場に子どもを送るな!の思いがある。

遺族が高齢化して遺族会が解散する。原子爆弾の健康手帳を持つ人の平均年齢が83歳。

求められているのは遺族から聞き取りをして次世代へ繋ぐ若者たちの行動だ。

誰かがやればいい、ではないはず。聞いて知って、悲喜を共有し、伝える行動がほしい。「戦争を知らない子どもたち」が流行った頃、なぜかこの唄が遠い過去のことだと思っていた。しかし今もそれは同じで何かをしなければ、伝えなければ50年前の自分と変わらない。

「過去に目を閉ざすものは未来に対して盲目となる」ワイゼッカードイツ大統領の言葉が35年前と同じく私の耳に聞こえる。

「戦争と平和」子ども達は知りたがっている、「なぜ戦争は起きたの?ヒロシマ・ナダサキ、沖縄戦。徳之島では?」それを伝えるのは大人の責務。しなければ罪でさえある。

 

区民合同ラジオ体操100名超す参加者、作山キヨさん93才も!

8月2日 日曜日 朝6時30分 三密を避けながらの「第三回区民合同ラジオ体操」が亀津小学校尾校庭で開催された。

狩集校長、橋口教頭先生も参加し、子供達と区民のふれあいラジオ体操が賑やかに実施された。

「場」を作れば人は集まり、コミュニティ活動が実施される。やればできる、成らぬは人の為さぬなりけり・・・。「為せば何事む 成ゆる事やしが 為さぬ故からど成らぬ定め(てぃんさぐぬ花)」

ラジオ体操後、校庭をウオーキングし。密接を避けながらティッシュの箱(景品)を参加者全員が受け取った。この子たちの