新年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

年始会はなくても、正月の飾りはいつもの通り。

コロナウイルスが消え、ワクチンも安全なことが早く立証されたらいいですね。

オリンピック選手の多くが副作用を恐れて摂取したくない、と言っています。

感染者の占める無症状患者も30~50%WHO報告。見えないコロナ恐怖は不気味ですね。

鹿児島大学永迫先生と島巡り

昨日は、朝9時出発して、昼食も取らず3時までの強行スケジュールでなごみの岬から犬田布まで戦争、自然、歴史多種多様な案内をしました。車中でも熱心にメモを取る永迫先生の姿勢に感服しました。

今度はゆっくり食事、懇談しましょうと別れました。

 

労金友の会 Gゴルフ大会

本日徳和瀬会場に、8時45分到着。

この会場に6度目の挑戦です。Gゴルフ友の会に入会して5度15ゲームこなしましたが、グリップ握り方や力のいれ具合で良くもなく悪くもなく、25~18のスコアです。

今日は労金主催Gゴルフ大会、短いところを打ち切れずショートで悶々としながら、3番ホール30mでなんとホールインワン!だが最後のホール4打。19でした。2回目も50mを5打数・・・・。23打でした。40名中12番。

「こんな広い会場でのびのびプレーできて幸せ!」

互いを称賛しながらのGゴルフでした。まぐれでもホールインワン最高でした!

県民週間 亀津小学校授業参観

県民週間で学校訪問。少人数学級や特別支援学級等々教員の定数も増え「落ちこぼさない」教育が徹底していた。グループ学習などを通してコミュニケーション能力、主体的に学ぶ学習が推進されていた。半世紀前の授業形態と今の違いを参観できる。多くの人たちに自由参観してもらいたいものだ。

井之川中1年フィールドワーク案内

29日これまで10数年続く井之川中学校1年生のフィールドワークを実施した。少なくとも22歳に達している訳だ。「故郷を誇れる子どもたちの育成」を胸に動いている。特に疎開船武州丸への思いを平和教育推進の原動力として語ってきた。自然や歴史、考古学から得られた新しい発見も常に知らせてきた。

子どもたちとともに学ぶ、という姿勢で関わってきた。熱い平和教育への思いを防空壕で、なごみの岬で、特攻隊記念碑ほかで語り伝えてきた。その思いは時代(昭和・平成・令和)、年齢を超えて連綿と伝え、平和を構築する子どもたちへと伝わっていくことでしょう。

年金友の会県知事あいさつ24日Gゴルフゴルフ遊歩記

年金友の会グラウンドゴルフ大会が天城町総合グラウンドであった。塩田塩田県知事のあいさつがあった。「離島のため暮らしを守るために県政はどうあるべきか持ち帰りたい」。私は参加できるものなら離島航路港のボーディングブリッジ設置を強く要望したかったが、新聞を見て意見が出て良かった。

差別のない鹿児島条例ができたものの、大島(名瀬)は作り返すのに全くない離島。

船の急なタラップを重い荷物で登ることは体験しないとわからない。

グラウンドゴルフ2ゲーム終了後、帰路に立つがついつい、寄り道。29日は井之川中学校1年生の史跡巡り案内だ。

大瀬川の清掃ゴミ拾い 子ども会、育成会

子ども会、育成会は大瀬川の清掃ゴミ拾いをした

環境教育を通して協同意識が高まる取り組みでした。今朝は、天候や参加者がどのくらいか、飲み物のことで4時半に起床。ラジオ体操のあと集落内のボランティア清掃見回りと元気度アップポイントシール配布

台風後わずか40日程でゴミが捨てられている実態を確認し、生態系を守るために、継続した取り組みの必要性を訴えた

 

 

 

 

10数年ぶりの鍾乳洞目手久、検福ー入口が様変わり

昨日午前8時45分頃から10数年ぶりに東目手久鍾乳洞を訪ねた。当時は道路脇からきび畑の畦を横断して水路伝いに行けばたどり着けたが、今回はさらに上まで登って右側の雑木林、竹林を経て小川に到着、ここを登っていった。当時の水路には木々が生え覆い尽くしていた。もはや10年過ぎると自然の猛威繁殖には抵抗できないのだ。更に台風の跡で、木々は倒れ大木も倒伏手のつけようがない。やっと通れるようにのこぎりで切って進む。当時楽々に案内した私がとまどうのだから、驚きとしか言いようがない。美山保さん達は昨年ここに入って時間経過で騒動し、本人も救急車で運ばれた。それとは知らず私はその本人に案内を頼んだ訳だ。申し訳ない。その後、上に抜けるという場所を案内してもらったが、そこは違法「ゴミ捨て場」と化していた。

美山さんの案内で目手久ダムを初めて知った。渡り鳥も来るという「ため池」だ。

権福の銀竜洞近くの手つかずの鍾乳洞は再発見に時間を要したが記憶をたどって見つけた。当時は「谷間であるため開発の手から逃れている」と説明した鍾乳洞だ。

地上部は赤土畑が広がる。広大な農地だ。近くまで開発の手が伸び、もはや地下部が赤土にまみれるのは時間の問題だ。

おそらくすでに、鍾乳石はつららも赤土で染まっていることだろう。入り口の写真だけ撮って思い出を胸に「永遠なれ、」と別れを告げた。