日本復帰に尽力された伊仙町面縄出身者の泉 芳朗
日本復帰 昭和28年12月25日おがみ山公園頂上に登った。名瀬の市街地が一望できる。
新しい名瀬市 庁舎が中央に見えます。
7月10日土曜日 タマシモロイタイム シマウタの背景、消滅の危機にある島口を唄で伝えていく取り組みが必要です。
標準化された日本語、この時代島口を継承するのはかなり厳しい 経験から島口劇は効果大、そして教訓や生活を綴るシマウタは貴重です その背景を伝えていくことですね。島唄や三味線を指導する際にこれまでの諸先輩は数字と時にABCを付け加えて独自の楽譜を考案していました。123を開放弦として45678ABCDなど。これでは復習予習ができません。
私はこれをそどソを開放弦として五線譜で指導しています。CDからの採譜もします。
五年生の男子はコロナ禍の中ですが一曲を1時間でマスターするほどです。
糸木名小学校の児童の皆さんもワイド節を踊ってくれました。島の文化継承は楽しいシマウタ、踊りだと思います。何でも楽しくないと長続きしません。そして賞賛し場を作ることです。
子どもも大人も練習の成果を活かすには「場」発表の場と拍手が一番ですね。
シマ唄とは島々または集落集落の唄を指す。それは独自のアイデンティティの発信で有り、同調した流行歌ではない。と言われている。例を挙げると朝戸屋ユンタは徳之島ではチンダラ節として替え歌が歌われている、それでいて根付いている。盗作ともいわれず愛されている。
「唄は旅する」 与那国小唄が亀津音頭に、与論小唄が19の春に、花徳枕節がエラブ百合の花に編曲され歌詞が新たに付け加えられ定着している。
「こども」「行事唄」「作業唄」「祝い唄」等々 人々の生活と密着していた。教訓歌もある。
シマ唄から心の文化を学ぶ。奄美の歴史を知る、ことばを知る。7月は糸木名小学校で保護者を含めてシマ唄の紹介です。数え歌、てぃんさぐぬはな、などその意味を語りながら歴史を生活を語ります。
今朝、早朝いつものように亀津小学校沿いの清掃をし、校長先生と朝の挨拶ほか児童の交通安全について立ち話をした。しばらくして校長から「釣り竿がありませんか!」と興奮した声で電話「どうしたんですか?魚、うなぎですか?」「いや、登校中に1年生が川をのぞき込んで帽子を落としてしまって、泣いている。なんとかして取ってあげたいが海に向かって流れているので釣り竿で引っかけようと思って・・」「行ってみます」と現地へ。ゆっくり海に向かう黄色い帽子。深さと階段があればずぶ濡れでも、と思ったが階段も無く降りることもできない。近くの民家へいっても何も無い。
急ぎ我が家へ紐とかごを探しに猛ダッシュ?といきたいが膝はがくがく、朝からなぜ走っているの?と言われそうでゆっくりジョギング。途中永吉博昭さんを思いだし「永吉さん!大瀬川に帽子を落として困っている、急いで」とふたりタモと釣り竿もって大捕物へ急行!タモが5~6mあって以外に簡単にゲット。帽子も川の端っこを流れていたためだ。
こども110番だね!泣いていた1年生もきっと笑顔に変わったことでしょう。
1万3000年前の隆帯文土器など奄美最古の土器が発掘された。今回発掘された日本列島2021年で国内で巡回される。
5月19日第一回目のワクチン接種を終えた。大丈夫と言われても内心不安は若干あった。
ただ、かかりつけの病院を書いて出したため保健センターから集団接種は当初見送られていた。かかりつけの病院に尋ねたら「かなりおくれますよ、集団接種が早いです」と言われ保健センターで集団接種に切り替えた次第。接種の注射針の痛みは全然なく(妻はイタイッ!と声を発したそうだ)その日は6時間経過して肩付近が重い違和感。翌日はインフルエンザなどと同じく注射した箇所の腕が微痛、重い。
それ以後はなんの変化症状もなかった。次回は6月10日、二瓶の接種後がきついと聞く。体に侵入するウイルスワクチンを迎え撃つ抗体との闘いがあるのだろう。
インド型がすでに入っているらしい。沖縄から帰った感染者も出たそうだ。島は即医療崩壊の現実を知ってマスク着用と安易な飲食は避けたい。ファイザー社のワクチンが今のところ良さそうだが東京大阪は別らしい。沖縄や北海道が観光客を受け入れて緊急事態宣言中だ。人間の「欲」を理性で押さえないと「自由」の誤った暴走で危機感は増す。学生が家族に感染させ父親が重症、などのTV報道を見て自制してくれるといいのだが。