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2016年 2月 21日 (日)

遠足& 史跡めぐり


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 鹿浦小学校 お別れバス遠足が19日あった。大和城山登山において 奄美守備隊の指令所跡地で高射砲口や当時の模様を伝えた。「あと3日すれば徳之島が攻撃の的になっていた、」という米軍の証言を紹介した。「もし、終戦が3日遅れていたら私も君たちもいなかった・・沖縄戦と同じく地上戦において祖父母が戦死したであろうから」。山中のタコツボの話。次に平和通りを通ってトリトリデッキへ。戦時中の防波堤の建設における沖永良部島、与論島から徴用された人々。与論島の30余名は松原港から帰路に就いたが米軍の戦闘機によって戦死。
手々海浜公園において昼食、お別れ会、レクレーション。近くのアジ墓を視察した。


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